「心霊研究」から「超心理学」へ

スピリチュアリズムという幽霊

西暦で1848年、アメリカ東部の小さな村、ハイズヴィルでポルターガイスト事件が起こる。フォックスという名の家族が住んでいた家で、死者の霊魂が引き起こしているかのように思われる奇妙な物音がするようになり、やがてその物音は、あたかもこの家の2人の姉妹と意思疎通ができるようになっていく。そして、これをきっかけに、死者の霊魂と交信できるという霊媒(medium)たちが、なぜかイギリスを中心に多数出現するようになり、一種の社会現象となる。そしてまた、こうした現象は国際的な科学的調査の対象にもなっていく。そもそもポルターガイスト(Poltergeist)とは、ドイツの民俗概念で「騒がしい精霊」といった程度の意味であり、昔々からあったもので、とくに19世紀になって始まったものではない。むしろ、それを「科学的に」解明し、根拠づけなければならないという気運が急速に高まり、やがてスピリチュアリズムと呼ばれる新思想の形成を促したことに、このハイズヴィル事件の科学史的な意味がある。

もともと英語で「spiritualism」といえば「唯心論」のことである。世界の本質はなんらかの精神的な存在であって、物質的な存在はそこから派生したものだとする考えであり、それは古代の哲学においてはむしろ主流の立場であった。しかし、ここでいうスピリチュアリズムは、霊魂は肉体とは別の実体であって、肉体の死後も存続し、輪廻転生を繰り返すという思想であり、唯心論というよりは、心物二元論である。唯心論と区別する必要もあって、日本語では心霊主義と訳されたりもするが、後述する心霊研究と紛らわしいということと、そもそも「心霊」という言葉が、日本語では、どこか、恨みを持って死んだ人間の成仏していない霊魂、といった、おどろおどろしいニュアンスを含むこともあって、ここではカタカナ表記のスピリチュアリズムで統一することにする。こちらのほうのスピリチュアリズムは、古代の唯心論とは異なり、ヴィクトリア朝イギリスでもっとも盛んになったという時代背景を考慮して、ヴィクトリアン・スピリチュアリズム、あるいは近代スピリチュアリズムと呼ばれることもある。また、スピリティズムという言葉もあり、スピリチュアリズムとほぼ同義に使われることもあれば、スピリチュアリズムのある一派をさす言葉としても用いられる。

ともあれ、1872年には、組織的スピリチュアリズムのさきがけであるマルリボーン・スピリチュアリスト協会がロンドンで結成される。現在、もっとも一般的なスピリチュアリストの団体である大英スピリチュアリスト協会(SAGB: The Spiritualist Association of Great Britain)の前身である。

スピリチュアリズムは、一種の宗教思想であるともいえるが、かつてのキリスト教が持っていたような過度の権威を嫌い、そうした大宗教のような、統一的な教義や聖典を持たない。一般には7つの「綱領」と呼ばれる共通認識があるとされる。それは、おおよそ

  1. 神は全人類の父である
  2. 人類はみな兄弟姉妹である
  3. 霊界と地上界との間には霊的交わりがあり、人類は天使の支配を受ける
  4. 人間の魂は死後も存続する
  5. 自分の行為には自分が責任を取らねばならない
  6. 地上での行為は死後、善悪それぞれに報いが生じる
  7. いかなる人間にも永遠の向上進化の道が開かれている

といったものであり、基本的にはキリスト教的な思想がベースになっているが、現世での行い(カルマ:karman)が輪廻転生を通じて受け継がれるといった、インド的な発想も取り入れられている。西洋のキリスト教とは異なる精神性を模索した人々は、東洋の知恵にも積極的に救いを求めようとしたのである。1875年には、よりインド色の濃い思想団体である神智学協会も設立されている。あるいは、輪廻転生の観念は古代ギリシアプラトンの考えにも似ている。プラトンの輪廻説は、古代ギリシアにもともと存在した民間信仰であるオルペウス教の影響を受けているという説もあるが、インドなど、より東方の文化からの影響の可能性も指摘されている。

とはいえ、基本が唯心論であるインド哲学正統派が、最終的には物質的世界からの解脱を目指すのに対し、スピリチュアリズムにはそうした発想はない。人が死ぬ時に体重がわずかに減少するのは、霊魂が抜けていくからだ、等々、霊魂をまるで質量を持った物質のような実体として捉えるという点で、皮肉なことに物質主義的であるともいえる。

しばしばスピリチュアリズム元年とも称される、ハイズヴィル事件が起こった1848年は、ヨーロッパではパリ二月革命をはじめとする革命運動が盛り上がった時代であり、また『共産党宣言[*1]が出版された年でもある。共産党宣言の冒頭で自虐的に語られる「共産主義という幽霊」とは、スピリチュアリズムにおける霊魂の概念を皮肉ったものである。いずれにしても、スピリチュアリズム共産主義は、敵対するようでいて、じつは19世紀の西洋思想の危機が生んだ表裏一体の双子の兄弟として誕生したのである。

19世紀の西欧世界は、思想的危機を迎えていた。かつては絶対であった教会の権威は失墜し、初めは造物主の計画を明らかにすることを目指していた科学の急速な進展は、一方で無神論的な唯物論と、それを認識論的な拠り所としつつ新たな楽園の到来を約束する新興思想である共産主義の勃興を後押ししはじめていた。相次ぐ科学上の新発見とも、キリスト教的な救済の精神とも矛盾しない、新しい、いわば「科学的な」宗教の必要性が模索されていた時代だったのである。

「死後の生!」

スピリチュアリズムは、「公理」である綱領の中に、すでに霊魂の死後存続が含まれているが、そのこと自体の信憑性こそ科学的に研究されなければならないという活動もまた、ケンブリッジのトリニティ・カレッジに始まる。1882年、ヘンリー・シジウィック、エドマンド・ガーニー、フレデリック・マイヤーズという3人の教員によって、Society for Psychical Research(SPR)という学会が設立され、シジウィックが初代の会長となる。以降、学界の錚々(そうそう)たるメンバーがこの研究に乗り出していく。SPRは日本語では「心霊研究協会」と訳されるのが一般的であるが、心霊と訳してしまうとスピリチュアリズムと区別しにくくなるということと、やはり一種のおどろおどろしいイメージがつきまとうので、ここではもっぱらSPRと表記することにする。スピリチュアリストが死後の霊魂の存続を前提とした宗教的思想運動であったのに対し、SPRはそれを科学的に証明ないし反証することを目的とした学会であったという点で、基本的に立脚点が異なっていた。じっさい、SPRが厳密な研究方法によって、さまざまな心霊現象のようなものを引き起こしてみせる霊媒たちのトリックを次々と暴いていく中で、その懐疑的すぎる姿勢に反感をおぼえたスピリチュアリストの多くは退会していくが、時代の流れの中で、けっきょく、そのスピリチュアリズム自体が衰退していくことになる。

スピリチュアリズムは、一種の宗教的信念体系であって、もとより反証可能性を基本とする科学的研究とは相容れない。宗教だから良くないというのではない。そこに救いがあればそれは立派な宗教である。むしろ、宗教なのにそれを物質科学の方法によって根拠づけようとしているとしたら、そこに基本的な矛盾があり、それは、つまるところ、物質科学の進歩によって楽園の到来を約束する共産主義と同様の科学主義なのである。科学と科学「主義」は違う。科学は価値とは独立に研究されるものであり、自己否定の手続きを内包しており、特定の価値観を正当化しない。科学主義は、科学の権威を借りて自らの価値体系を正当化しようとする、権威主義的な思想である。スピリチュアリズムには綱領と呼ばれる公理があって、霊魂の死後存続と、人類愛を説いている。心霊研究者は霊魂が死後も存続するかどうか、その可能性について研究しているのに、その、反証されるかもしれない仮説が公理になっているのは、やはり反証主義的な科学の方法に反する。ついでに言えば、霊魂が肉体の死後も存続するのであれば、殺人など、肉体的な生命を軽視する行為を正当化してしまう可能性もある。もちろん、スピリチュアリズムは、そうした矛盾を回避する論理を持っていないわけではないのだが、この矛盾はあまりにも基本的なので、論理的に解決しようとすること自体に無理がある。多くの宗教的信念体系がこうした矛盾を抱えているが、しかし心の平安や社会の秩序には必ずしも論理的な体系は必要ないし、論理的な体系はむしろ邪魔になることさえある。もとより信仰とは論理で納得できるものではないからこそ、信じるしかないのである。「不条理ゆえに我信ず」なのである。

ちなみにここでは、心霊研究の歴史に名を残す名だたる霊媒たちや、彼ら、彼女らが起こしたとされる現象、そしてその信憑性という個別の列伝には敢えて立ち入らない。それは、すでに多くの論者によって個別に長々と論じられていることであるし、ここで議論したいのは、個別の事例ではなく、スピリチュアリズムと心霊研究の思想史的背景と方法論自体のほうだからである。

ニーチェが神の死を宣告した世紀の変わり目、イギリスを中心とする心霊研究も最盛期を迎える。SPRもジェームズやベルグソンなど、錚々たる顔ぶれが会長職を務めた時代でもある。日本でも1910年には福来友吉が透視や念写についての実験的研究を始めている。イギリス留学から帰った夏目漱石が「修善寺の大患」と呼ばれる危篤状態に陥った年でもある。心理学の体系は宗教体験を含むものでなければならないと説いた「ゼームス」の影響を強く受けていながらも漱石はしかし、「スピリチズム」に対してはかなり懐疑的だったようである。一般的には「修善寺の大患」で九死に一生を得、臨死体験者のような悟りの境地に達したとされているが、その当時の体験を綴った『思ひ出す事など』[*2]には、むしろ、自分は死にかけたが、ただ意識を失っただけで、なにも神秘的な体験はしなかったと述懐している。オリヴァー・ロッジの著書『死後の生』を引き合いに出しながら「『死後の生!』名からしてがすでに妙である」と、その矛盾点を指摘している。もっともジェームズに傾倒していた漱石が単純な唯物論者だったわけではない。スピリチュアリズムは、むしろ「物物二元論」に近い二元論であり、そこが奇妙だというわけである。むしろ漱石は学生時代以来ずっと、「心心二元論」に近いサーンキヤ哲学に関心を寄せていた。

サーンキヤ哲学においては、一元論的な唯心論(spiritualism)であるヴェーダーンタ哲学とは少々異なり、観測する存在であるプルシャ(puruṣa:純粋精神)と観測される存在であるプラクリティ(prakṛti:根本原質)の2つの原理をたてる。そして、プルシャがプラクリティに、あたかも王が踊り子に関心を惹かれるように関心を寄せることで、プラクリティは踊り、その踊りから物質世界(のように見えるもの)が流出してくるのであり、プルシャがプラクリティへの関心を完全に止めてしまったとき、プラクリティの踊りも停止し、世界はほんらいの様相へと回帰するという考えである。その実践がヨーガであり、『草枕[*3]のメインテーマである「非人情」は、その、サーンキヤ哲学における、関心の停止を描いているとされている。

一方、その後、実験を巡る不正行為の可能性などが大きく取沙汰され、スキャンダルに巻き込まれた福来は1915年に東大を去り(その騒動の顛末についてもすでに多くの研究があるのでここでは詳述しない)結局、彼が向かった先は高野山だった。高野山には、あらゆるものを受け入れる、曼荼羅のような多神教的な包容力がある。それは、あらゆる地域からの移民を受け入れ続けてきたブラジルの社会ともどこか似ているようにも思える。

ブラジルの社会は百年前の移民文化が、あたかも生きた化石のように保存されている社会であり、ヴィクトリアン・スピリチュアリズムは、本場のイギリスでは衰退してしまったが、南米、とりわけブラジルの移民社会では未だ健在であり、統計上はカトリック信者であると自己申告する人々が圧倒的に多数派を占めるとはいえ、人口のおよそ5パーセントがスピリチュアリストであるという数字が報告されている。

私は、ベゼッハ・ヂ・メネゼズという著名なエスピリタ(スピリティスト)の名を冠した大学にも、短期ではあるが客員研究員として赴いたことがある。私がスピリティストだからだということではなく、むしろ学内では少数派であった科学的研究グループを助力するために招聘されたのであるが、赴任早々、サンパウロの教会の某神父から、大学あてに怪文書が送られてきたことがあった。曰く、あなたたちの研究と称するものは「非科学的」だというのである。まるで西洋科学史の教科書に出てくる異端告発を受けたような、奇妙な体験だったが、スピリチュアリストたちは、一方では唯物論的科学を仮想敵としながら、同時にオーソドックスなキリスト教からも、あろうことに「非科学的」という理由で批判されるという、苦しい立場にあったし、現在でもブラジルのような場所ではそういう状況にある。

心霊研究の問題点

さて、初期の心霊研究は、なぜ衰退していってしまったのだろう。ここでは、その方法論的な問題を三点、指摘しておきたい。まず第一に、ハイズヴィル事件以来次々と出現した、研究しやすい、わかりやすい現象を起こす霊媒が減ってしまったということがある。ブームに便乗して次々と出現した偽霊媒の、自己欺瞞を含む不正行為が次々と暴かれていったからだろうか。繰り返しになるが、ここでは個別の霊媒たちの起こした現象の信憑性を個々には検討しない。そもそも、歴史上の事件については、現時点では最終的な判断はできないし、まずそこに、特定の個人を対象とした研究方法の問題点があった。特定の個人を対象とした研究で、彼または彼女が起こした現象がトリックであったことが判明したとする。しかし、「ある」霊媒が不正行為で不思議な現象を演出していたからといって、そうした事例をいくら積み上げても、論理的には「すべての」霊媒が不正行為を行っていたということは決して証明できない。ましてやその逆である、霊魂の死後存続など証明することはできない。

第二に、霊魂の死後存続といった場合、それが客観的、三人称的な現象のことを指しているのか、それとも主観的、一人称的な現象のことを指しているのかが、混同されがちであった、という問題点もある。前世の記憶らしきものを語る子ども、臨死体験など、肉体の死後も霊魂が存続したり、転生したりするかもしれないという研究は、現在も続けられていて、ある程度の肯定的な結果が蓄積されてきている。たとえば、臨床的には死亡状態にあったはずの患者が、回復後、手術の一部始終を語ってみせるといった類の事例の蓄積には事欠かない。しかし、それは、死後も意識が存続することの直接的な証拠にはなりえない。そもそも一人称的な体験は、原理的に三人称的な科学の方法にはなじまない。このことは、およそ主観的な心的現象を研究対象とする心理学全般が抱えている、非常に本質的な問題であって、心霊研究や超心理学のような特殊な分野だけに関係することではないのだが。

これと関連して、第三に、霊魂の死後存続を思わせる現象は、まだよく知られていない人間の未知能力によって引き起こされているという可能性がある。ハイズウィル事件の中心にはフォックス姉妹という生きた人間がいた。一般に大半のポルターガイスト事件の中心には焦点人物という生きた人間が存在し、それが筋力であれ念力であれ、その焦点人物が現象を引き起こしているという可能性があり、それが死者の霊魂が起こしている現象だとするには、まず生きている人間が起こしている現象だという可能性を排除しなければならない。あるいは、たとえ臨死状態にあった人物が手術の風景を詳細に描写したとしても、それは瀕死の状態にある人間に、通常の五感によらない特殊な知覚能力があるという可能性を示唆することにしかならない。

心霊研究の初期の記念碑的な報告書に、1886年に出版された、ガーニー、マイヤース、ポドモアの共著になる『Phantasms of the Living(生者の幻影:日本語訳なし)』[*4]がある。いわゆる虫の報せや、遠方で息を引き取った人物が夢枕に立つ、といった事例を大量に収集したものである。大量の事例は、第一に、霊魂として報せを伝えてきた人物の圧倒的多数が、何らかの事故や急病などの緊急事態に陥っていたこと、そして必ずしもそれによって絶命していないことを示している。このことは、死者の霊魂が人間の姿をとって近親者の前に出現したというよりは、むしろ危機状態にある人物が何らかの方法で近親者にSOS信号を送っており、受け手がそれを察知したり、その感覚をもとにその人物の姿を思い浮かべてただけではないのか、という可能性を示唆している。そもそも、もし人の肉体的な死と同時に、霊的な身体が離脱して「幽霊」になるのなら、なぜ目撃される幽霊は全裸ではなく、衣類を身に着けているのだろうか?

近代心理学の「影」としての「超」心理学

こうして、20世紀に入ると、心霊研究の多くの分野が、霊魂の死後存続という、もともとの問題をいったん保留して、人間の未知能力の研究へと移行していく。これは、他の心理学の分野でも同じような困難を克服しようとして考えだされた、行動主義という方法論に則って、日本語で超心理学と呼ばれる分野へとつながっていく。1930年代にこの方法を集大成したのが、アメリカのデューク大学にいたジョセフ・バンクス・ラインである。特殊能力を持つとされる特定の個人を研究対象とせず、多数の一般人を対象に、規格化された実験を行い、それを統計処理することで、不正行為の入り込む余地を減らし、また、行動主義という方法を採用することで、主観的な問題はいったん保留して研究を進めることができる。

行動主義(behaviorism)は、主観的体験、あるいは心や魂といった実体を否定はしない。しかし、それは物質的な現象ではない以上、物質的に観測可能な「行動」だけから、物質科学と同様の意味での科学的な心理学を構築しようとする立場である。あるいは、さらに先鋭化した行動主義である、徹底的行動主義(radical behaviorism)においては、そもそも心という実体概念を否定する。人間(や、その他の動物)は、心のないロボットのようなものだ、ということではなく、視覚や聴覚のような刺激(入力)と、行為や発話のような反応(出力)の間の関数関係自体を「心」とみなすのである。奇妙な発想のようだが、同じような見方は、アートマン(ātman:自我)という実体を否定し、心の諸作用はすべて相互関係の束であるとみなした仏教の無我(anātman)という考えの中にすでにみることができる。

なお、超心理学の原語は、英語のparapsychologyで、元を辿れば、paranormalな心理現象を研究する分野、という意味である。たとえば変性意識状態のような、normalではないが、といってabnormal(精神医学的な意味で異常)でもない現象のことである。接頭辞「para-」は普通、「側」などと訳される。だから「超」と訳すのは明らかな誤訳である。強いていえば「超自然的」と訳される、supernaturalの接頭辞「super-」が、日本語の「超」に該当する。

同じような意味で、anomalous(変則的)や、anomalistic psychology(変則的心理学)という用語が使われることもある。否定の接頭辞である「a-」も、「ab-」も、語源を辿れば同じなのだが、anomalousには、abnormalのような「精神異常」というニュアンスはない。

いずれにしても日本語でparanormalやparapsychologyが「超常的」「超心理学」と訳されることによって、不要な「いかがわしさ」を感じさせることになってしまったのは残念なことである。たしかに自然科学系の分野で「超伝導」や「超流動」という学術用語を使ったとしても、とりたてて違和感がないが、人文・社会系の分野で、いささかアマチュア的に「超古代史」や「超歴史学」などというと、とたんに怪しげなものというニュアンスが強くなってしまう。「超心理学」という訳語は、むしろ後者のいかがわしさを感じさせるものになってしまっている。無論、これは訳語だけの問題ではなく、心霊研究が洗練されて超心理学へと発展していった時代は、また同時に一般的な「心理学」が、近代的な物質科学をモデルにしてつくりあげられていった時代でもある。超心理学は、その方法論では明らかにうまく扱えなかった精神現象の「影」の部分を担わされてしまった不幸な分野だということもできる。

超心理学という研究プログラム

さてここで、超心理学と呼ばれる研究プログラムについて、ひととおり概観しておきたい。超心理学は、まだよくわかっていない人間の未知能力を、まず、それが実在するかどうかはいったん棚上げにして、あくまでも実験のための仮説的な概念として、であるが、その未知能力を感覚系と運動系の2種類に分ける。やや些末にはなるが、今後の議論のために、用語の整理をしておく。

感覚系の未知能力はESP(Extra Sensory Perception)で、日本語では「超感覚的知覚」「感覚外知覚」などと訳される。やや長く、どうも語感に違和感があることもあり、そのまま「ESP」が使われることが多い。それから、後者の運動系は、PK(Psycho-Kinesis)で、やはり日本語では「念力」「念動」などとも訳されるが、やはりそのまま「PK」が使われることが多い。Telekinesisもほぼ同義であるが、あまり使われない。

さらにESPは、ふつう、3つに分類される。生体が物体を知覚する、通常のESPを透視(clairvoyance)というが、目の前にある封筒の中に入っているもの、などではなく、遠く離れた場所のものを透視する場合は、とくに遠隔透視(RV: Remort Viewing)と呼んで区別されることもある。

また、生体を生体が知覚する、というより、生体どうしの間で情報がやりとりされるかのような特殊なケースを、telepathyと呼ぶ。「精神感応」と和訳されることもあるが、普通はカタカナで「テレパシー」と使われる。

また、特殊なケースとして、時間を先取りして未来の事象が知覚されるような場合をとくに予知(precognition)と呼び、その中でも、本人には明確で意識的な自覚はないが、なんとなく、何かが起こりそうな感じがしたり、まったく何も感じなくても、手に汗をかいていたりなど、無意識的に未来の出来事が知覚されるような場合をとくに予感(presentiment)ということもある。

また、PKというと、ふつう、生体が金属製のスプーンのような物体に作用を及ぼす場合を考えるが、とくに、手かざしによる病気治療のように、テレパシーと同様、生体が生体に作用するという相互作用を仮定する場合は、Direct Mental Interaction with Living Systems(DMILS)ということもある。あえて日本語に直訳すれば、生体に対する精神の直接作用、とでもなるのだろうが、これには手短な定訳はなく、DMILSという略語がそのまま使われることが多い。

なお、PKについては、対象の大きさに応じて、「心の力」がスプーンのような大きな物体に作用すると仮定する場合は、macro-PK(マクロPK)、電子のような素粒子レベルの物質に作用すると仮定する場合は、micro-PK(ミクロPK)と分類することもある。これは、たんに対象とする物質の大きさというだけでなく、前者であれば古典力学的な近似の範囲で十分に議論が可能だが、後者の場合は量子力学的な効果を無視することができなくなるスケールだという意味も含んでおり、そしてmicro-PKは、しばしば量子力学における観測問題と関連づけて議論される。

また、先に述べたような、臨死体験や、前世の記憶を持つという子どもの研究なども超心理学に含めることがあるが、これはむしろ心霊研究の延長線上にあるもので、行動主義をモデルにして構築された狭義の超心理学、つまり実験超心理学(experimental parapsychology)には含まれない。テーマが古くてもはや問題ではないということではない。そうではなく、自発的(spontaneous)に起こる現象を対象とするか、実験室の統制された条件で研究するかという、方法論の違いの問題であり、通常、実験超心理学は、後者の方法をとるが、だからといって自発的な現象の研究に現代的な意味がないというわけではない。

なお、ESPとPKをまとめて、人間の未知能力を総称する言葉として、psiという用語が使われることもある。心や魂を意味するギリシア文字の「ψ」のローマ字表記である。ほんらいの発音は「プシー」であるが、英語訛りだと「サイ」になり、日本語でもそのままサイというカタカナ用語として使われることが多い。ただし、これは種々雑多な、未確認の未知能力を総称する概念であって、そう総称することに積極的な意味はない。にもかかわらず、超心理学を巡る論争では、この「サイ」をひとまとめにして、それが存在するとか、しないとかいった不毛な議論がなされがちである。このことひとつとっても、超心理学を巡る議論が基本から混乱していることを示している。

証明された「超心理現象」はあるのか?

さて、超心理学が仮定する現象の分類は、いくらでも、もっと細かく進めることもできるが、ここで重要なのは、これらの分類は、あくまでもその存在を確かめるために行う実験のための、便宜的な分類であって、初めからその実在が仮定されているわけではないということである。

それでは百年にわたって実験が続けられてきた結果、これらの現象が存在することが確認されたのかというと、証明されたとも、否定されたとも、はっきりしたことは何も言えない。というのも、大量の実験結果は統計的に分析され、そして分析の結果言えるのは、つねに、このような結果が偶然に得られる確率は十分に低い、つまり、どうやら偶然とはいえない、ということだけだからである。ただし、これは超心理学だけがそうなのではなく、心という実体のないものを扱う実験心理学全体が、こうした統計的な方法論をとっているため、つねに「ないとはいえない」という、あいまいな二重否定でしか語れない。そして、その「確率は十分に低い」というのが、5パーセントなのか、1パーセントなのか、あるいはもっと低くなければいけないのかは、研究する側が目安として決めていることで、絶対的な基準はない。そのような意味では、統計的な方法に従っている以上、さまざまな超心理現象、いや、すべての心理現象について、原理的に、確実に存在すると証明されたものはなにひとつない。くどいようだが、統計的な方法というのは、そういうものだからである。

ここまで長々と前置きをしても、なお、(そして、実験のミスやデータの意図的な改ざん・隠蔽などの要素を排除してもなお、)多数に分類され、実験が重ねられてきた超心理現象のうち、少なくとも2、3は存在する可能性が高いといえるだけの十分な統計的結果を蓄積してきている。

まず第一に、ガンツフェルト法を使ったテレパシー実験である。ガンツフェルト法は実験の手続きが標準化されており、かつその標準化された方法で多数の実験が繰り返されてきた。まず、「送信者」と「受信者」が別々の建物の部屋に分かれる。「送信者」は、あらかじめ用意された4種類の画像や動画のうち、乱数で決定されたひとつのイメージを、「受信者」に向けて、思念で送ろうと努力する。いっぽう、「受信者」は――私もブラジルで体験したことがあるが――五感による漏洩が起こらないような薄暗い部屋に閉じ込められ、しかしゆったりした椅子に座ってリラックスする。両眼にはふつう、半分に切ったピンポン球が貼り付けられ、眼を開けても、目の前にはぼんやりした光景が一様に広がっている様子しか見えない。このような状況を、ドイツ語でGanzfeld(全視野)という。また、両耳にはヘッドホンがとりつけられ、サーッという軽い雑音がずっと流されつづける。ようするに、軽い感覚遮断状態におかれる。眠りに入る直前でうとうとしているような意識状態になる。その中で、いろいろなイメージが去来する。感じたことはそのままにしゃべって、録音しておく。

実験終了後、受信者が、送信用に用意された4種類の画像のうち、どれが自分の印象にいちばん近いかを判定する。その判定結果が「送信者」が思念で送ろうとした画像と一致する確率は、まぐれ当たりでは4分の1、25パーセントである。しかし、蓄積された実験結果は、約3分の1、33パーセント前後のヒット率を記録しており、これは統計的にはきわめて有意な結果である。

もちろん、通常感覚による情報の漏洩が起こったにすぎないという批判も多い。そもそもテレパシーという相互作用が存在したとしても、どのような制限を受けるのかがわからないので、距離をどれぐらい離せばよいのか等々、完全な統制ができないという根本的な問題がある。もしテレパシーが携帯電話のように電磁波によって伝わるのであれば、距離が遠くなれば減衰するはずだし、特定の物質で遮蔽することも可能なはずだが、そのような実験結果は得られていないし、得られていない以上、それをもとに実験条件をコントロールすることもできない。これに対しては、そうした物理的な要因よりもむしろ、送信用に使用された画像がより感情的な内容であったり、受信側の人物が高い芸術的能力を持っている場合に、より良い実験結果が得られるという、心理的な要因との相関が指摘されている。

それから、実験超心理学の分野でもうひとつ良い成績をあげている実験がある。物理乱数発生器を使ったミクロPK(micro-PK)の実験である。ダイオードの壁を「壁抜け」するトンネル電子の数や、壁に2つの通り道をあけておいて、光子がどちらを通過したか、などの、量子論的な確率現象を、心の力によって偏らせることができる、という実験である。

量子力学における「観測」とは何かということについては、非常にわかりにくい議論であり、詳細は別の機会に譲りたいが、ともあれ、通常の物理学の解釈においては、2つの通り道のうち、どちらを光子が通ったかということは、事前には確率としてしかわからず、かつ、観測者はたんに結果を観測するだけであって、その意志のようなものが観測結果に影響するなどとは考えない。しかし、ミクロPK実験においては、たとえば半々の確率で起こるはずの事象に「念」を込めると、おおよそ50.01パーセント程度のオーダーで、結果が偏るという証拠が得られている。これはわずかなズレかもしれないが、大量に実験を繰り返せば、統計的には天文学的に有意な結果となる。つまり、とても偶然でそれだけのゆらぎが生じるとは考えられないのである。

その他、近年では、予知のうち、無意識の予感についても、かなり肯定的なデータが蓄積されてきている。

しかし、にもかかわらず、心理学、いや、科学界全般で、テレパシーやミクロPKや予感の存在が証明されたという了解が広く共有されてはいない。その大きな理由のひとつは、単純に、多くの研究者がそのような地味で真面目な研究が行われていることを知らないからである。また、なぜ知ろうとすれば知ることができるのに、知ろうとさえしないかといえば、そんなに突拍子もないSFのようなことが実際に起こるなどとは、考えもしないからである。おそらく、そんなおかしなことに大真面目にとりあっている暇があれば、当面、自分の研究を地道に進めたほうが賢明だと、多くの研究者は考えるだろうし、それは正しい選択なのかもしれない。

精神という「不思議現象」

ここまで議論を進めてきて、やはり、なにかがおかしい、と思う。なにかが根本的におかしいのである。では、なにがおかしいのか。

きれいに整備された公園の、ふわふわした草の上に、仰向けに寝そべってみる。澄んで乾いた真っ青な空が180度広がる。ところどころに浮かんでいる、いろいろな形をした白い雲。もうそれ以外にはなにも見えない。自分の身体さえ見えなくなる。そして、そんなふうに寝そべっていると、だんだん、うとうとと意識状態が変容しはじめる。どこか、感覚遮断タンクに入っているようでもあり、ガンツフェルト実験の「受信者」になったような感じもする。

いま目の前に見えているのは空である。地球の大気である。地球の大気は物質である。しかし、それを見ている「自分」はどこにいるのだろうか。雲は大気の層の中にある。それと同じように、「自分」は、この寝そべっている身体の中にあるのだろうか。そして、この身体が死ねば、「自分」はどこか別の場所、たとえばあの雲の上に行くのだろうか。

やはり、おかしい。そう考えてしまっては、おかしいのである。デカルトが『省察[*5]の中で延々と書き連ねていた奇妙な議論を、あらためて反芻してみる。精神は物質ではない。物質ではない以上、物理的な空間や時間の特定の場所を占めるようなものであってはならないはずだ。しかしそう考えている精神は、やはり自分の身体という、いま公園という場所に寝そべっている物質となんらかの形で相互作用している。純粋に心物二元論の立場を徹底するなら、精神と物質はまったく別のものだから、相互に関係の持ちようもない。もし、心と物が、特定の場所、たとえば脳で相互作用していると仮定した時点で、もうそれは純粋な心物二元論ではなくなってしまう。デカルトの古典的な議論も、近代スピリチュアリズムも、けっきょくは、どこか「物物二元論」のような話になってしまうのである。

宗教から科学へ、という時代の流れの中で、トリニティ・カレッジで始まった心霊研究は、やがて超心理学という袋小路に入ってしまい、その後100年たっても、はっきりした出口が見えていないままである。なるほど心霊研究から超心理学へと、研究方法は進歩し、否定的な結果も含めてより厳密な実験結果が得られるようになってきたことは事実である。データの蓄積量も膨大なものになってきている。しかし、心霊研究があくまでも肉体の死後も霊魂は存続するか、肉体とは独立に霊魂という「モノ」が存在しうるのかという明確な、反証の容易な仮説を持っていたのに対し、超心理学はそうした、核となる明確な仮説を失ってしまい、人間の多様な特殊能力の研究になってしまった。研究プログラムとしては、むしろ退行してしまったと言ってもいい。

スピリチュアリズムが奇妙なのは、精神的な現象を、物質的な現象を説明するのと同じように「科学的に」説明しようとしているところにある。その奇妙さは、心霊研究から超心理学にも引き継がれている。そして、これはなにも「超」心理学だけではなく、科学的であろうとしてきた心理学全体がそのような奇妙さの上に成り立っているのである。「科学的な」心理学という、基本的な矛盾のしわ寄せを受け、その矛盾を一手に引き受けさせられているのが超心理学という分野なのだともいえる。

もちろん、ここで「科学」というのは、古代ギリシアアリストテレス以来、中世のアラビア世界で、そして近代のヨーロッパ世界で改良され、発展させられ、大いに成功した、物質世界の法則を記述するための「科学」のことであり、精神世界の法則を記述するためには、また別の方法論が必要なのだろう。そして、それはむしろ、古代のギリシアよりも、古代のインドのほうが得意とした分野だった。それが改良され、発展させられ、精神の「科学」として花開く時代が、ようやく到来しつつあるのかもしれない。

また、現在の「科学的」心理学は、もっぱら近代の古典物理学をモデルにしているが、そのモデルになった物理学自体が、20世紀に入って、相対性理論量子力学という二大分野の出現によって、大きく変革を遂げることになる。その革命を思い切って単純化するなら、物質世界を記述するための体系は、それを観測する「観測者」という、ある種の精神的存在を内包していなければならない、ということである。 より正確には、現在、必要とされているのは、たんに精神の「科学」ではなく、物質と精神の両方を統一的に理解可能な体系だといったほうがいいだろう。

かつて、惑星の回転などの天界の出来事と、リンゴの落下などの地上での出来事は、まったく別の法則に従うと考えられていたが、ニュートンらの功績によって、今では統一的な法則によって理解が可能になった。そもそも、平たい大地だと思われていた地面が、じつは地球という小さな球体だったのである。そのような意味では、地上界とされていた世界もまた、より大きな天界の一部だったのである。 



蛭川立 (2013). 「『心霊研究』から『超心理学』へ(心物問題の形而下学に向けて(1))」『サンガジャパン』15, 221-247.を加筆修正 
2019/04/10 JST 作成
2019/05/22 JST 更新

蛭川立

*1:マルクス, K. H., エンゲルス, F. 大内兵衛向坂逸郎(訳)(1971).『共産党宣言岩波書店. (Marx, K. H., Engels, F. (1948). Manifest der Kommunistischen Partei. Office der „Bildungs-Gesellschaft für Arbeiter“.)

*2:夏目漱石 (1986).『思い出す事など 他七篇』岩波書店.

*3:夏目漱石 (1990).『草枕岩波書店.

*4:Gurney, E., Myers, F. W. H., Podmore, F. (2011). Phantasms of the Living (Cambridge Library Collection - Spiritualism and Esoteric Knowledge). Cambridge University Press.

Gurney, E., Myers, F. W. H., Podmore, F. (2011). Phantasms of the Living 2 Volume Set (Cambridge Library Collection - Spiritualism and Esoteric Knowledge). Cambridge University Press.

*5:Descartes, R. 井上庄七・野田又夫・森啓(訳)(2002).『省察・情念論』中央公論新社.