【資料】西丸四方『狂気の価値』

躁鬱病プラス分裂病・ある天才画家

私は三十年来、ある女性の画家を知っている。彼女が田舎の公民館で個展を催したときに、偶然出会い、その狂的な抽象画に圧倒されるほどの迫力を感じた。これは物真似でない本当の抽象画だと思って、その画家に会ってみた。二十歳ぐらいで体が小さく、ぼそぼそと話をする無表情の娘であった。この娘には、ノイローゼで悩む時期と、ほとばしるように絵が描ける時期と、それを種々宣伝して公表するエネルギーの満ちた状態になる時期とが、交互に来る。ノイローゼの時期には、非常な苦しみにさいなまれ、体の中をさまざまな異様なものが狂いまわり、幻覚に悩まされる。この時期が過ぎると、この異常な体内感覚をもとにして、一日に何枚もの絵が湧き出るように描かれ、これが独自の抽象画となる。
 
絵が多数完成すると、こんどは宣伝のエネルギーが湧き上がる。そして、田舎の公民館から中央の画坑にまで進出し、評判になった。外国にも渡ってヒッピーの仲間にも入りながら、独自の奇抜なすばらしい作品を制作し、海外でも非常にもてはやされた。 ヒッピーの用いる麻薬[*1]マリファナLSDの陶酔時の幻覚と、彼女の病的幻覚は似ているので、共感したのであろう。こういう麻薬はサイケデリック・ドラッグといわれるが、サイケ(プシュケー)とは心のこと、デロスとは明らかということで、日常のまともな生活の中では心の底に隠れている奇妙な夢のような世界を明らかにすることであって、彼女の場合には病気がそうしてくれるのである。ただ陶酔では快感が、彼女の病気では苦しみがあるのが差異である。彼女がその頃の経験をもとにして書いたロマン・エッセイも非常に巧みで、文学的哲学的な知識や才能も豊かで、けっしてたんなる無思想の画家ではない。この画家は、三十年間その病的状態を続けてきて、今でも変わらない。絵の才能はもともとあったものかもしれないが、それにエネルギーを与え、内容を与えたものは、その狂的ダイモニオン(人間にひそむ神的なもの)とするしかない。
 
エネルギーに満ちた状態では、自分の才能は世界一と思うくらいに自信を持つ。これに対して、幻覚に悩まされる時期には医者に頼るしかなく、死さえ考え、死の実行の瀬戸際まで追いやられる。精神身体的に非常に好調な時期と不調な時期を反復する、愉快憂鬱、活気沈滞、幸福悲惨の狂気は躁鬱病といわれるが、このときに著しい幻覚を持つとか、抽象的非現実的世界を経験するのは、精神分裂病[*2]の特徴が加わっているからである。この画家は、両方の病気を混合して持つことにより、躁鬱病による周期性と非痴呆性、精神分裂病による異常世界の体験を兼ねそなえることができて、その天才性を発揮できた価値ある狂者ということができる。

西丸四方『狂気の価値』[*3]

2019/07/07 JST 作成
2019/12/18 JST 最終更新
蛭川立

*1:引用者注:精神展開薬(psychedelics)のことであって、オピオイド鎮痛薬のことではない。

*2:引用者注:現在では「統合失調症」と呼ばれる。

*3:西丸四方 (1979).『狂気の価値』朝日新聞社, 110-112.

狂気の価値 (1979年) (朝日選書〈142〉)

狂気の価値 (1979年) (朝日選書〈142〉)