【文献】『荘子』(胡蝶之夢)

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https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c1/Dschuang-Dsi-Schmetterlingstraum-Zhuangzi-Butterfly-Dream.jpg
 
陸治『夢蝶』[*1]

昔者(むかし)、荘周、夢に胡蝶と為る。栩栩然(くくぜん)として胡蝶なり。
 
自ら喩しみて志(こころ)に適えるか、周なるを知らざるなり。
 
俄然として覚むれば、則ち蘧蘧然(きょきょぜん)として周なり。
 
知らず、周の夢に胡蝶と為るか、胡蝶の夢に周と為るかを。
 
周と胡蝶とには、則ち必ず分有り。此を之(これ)物化(ぶっか)と謂う。

 
荘子』(内篇 斉物論第二)[*2]

蝶になってひらひらと飛んでいた。はっと目が醒めると夢だった。そう思って、目覚めたほうの世界での生活に戻る。それが普通である。

しかし、荘子こと荘周は問う。いま私、荘周は胡蝶になった夢を見ていた。けれども、逆のことも考えられる。つまり、いま、胡蝶が荘周となっている夢を見ているのではないだろうか。夢の中では、我々は「これが現実だ」と感じているが、だから、そこから覚醒した[と思っている]世界で「これは現実だ」と思っていても、それもまた夢であって、次の瞬間には目が醒めるかもしれない。そう考えてみることは可能である。

「物化」というのは難しい言葉である。荘周と胡蝶は別の存在である。別の存在であるのに、互いに変身することができる。このような作用を「物化」ということができる。

荘周の身体が属する物質世界こそが実在する世界であり、夢は幻覚にすぎない。近代社会の常識ではそう考えるし、古代より漢民族もこうした現実的な態度を好んだから、老荘思想は特異であり、とりわけ『荘子』には厭世的な超越性が色濃く認められる。



記述の自己評価 ★★★☆☆
CE2017/10/17 JST 作成
CE2021/09/23 JST 最終更新
蛭川立

*1:陸治(Lù Zhì, c. 1496-1576)は明代の画家。

*2:「昔者莊周夢爲胡蝶。栩栩然胡蝶也。自喩適志與。不知周也。俄然覺、則蘧蘧然周也。不知周之夢爲胡蝶與、胡蝶之夢爲周與。周與胡蝶、則必有分矣。此之謂物化。」

池田知久訳注 (2014).『荘子 上 全訳注』(講談社学術文庫2237)講談社, 217-218.より引用。『荘子』の訳註は多数あるが、文庫サイズで手軽に参照できるものとしては池田知久の訳註が文献学的に正確である。充実のあまり文庫本とはいえないほどの分厚さであり、それが上下二巻に分かれている。