意識の諸状態

四つの意識状態

人間の意識は複数の状態をとりうる。そして複数の意識状態に対応した複数の現実(reality)が存在する。たとえば、古代インドの『マーンドゥキァ・ウパニシャッド』は、人間の意識状態を四種類に分類している[*1]

1 覚醒状態
2 夢のない睡眠状態
3 夢見状態
4 自己(atman)自身である状態

別の意識状態に対応した別の現実があるという考えは、たとえば睡眠中の夢見状態を想定すれば理解できるだろう。もちろん、それは一種の幻覚で、この「覚醒」状態だけが唯一の「本当の現実」だと考えることもできる。しかし、意識体験は原理的に主観的なものであり、眠っていないとき、つまり、いわゆる「覚醒」状態が幻覚ではない、唯一の現実だということは、客観的な方法では確かめられない。客観性を保証してくれるであろう他者もまた、幻覚の中の登場人物ではないとは示せないからである。

古代の神秘思想、とりわけ古代のインド哲学などでは、通常の意味での「覚醒」状態ではなく、それとは別の特殊な意識状態(上記の4)こそが「本当の現実」に対応した「本当の覚醒」状態であって、いわゆる「覚醒」状態も、睡眠中の夢も、どちらも一種の「幻覚」であり、そこから醒めなければならないとする思想が顕著である。そして、そこに至る方法が瞑想(yoga)だとされる。

変性意識状態

現代の心理学・意識研究では、どの意識状態がもっとも「覚醒」しているのかはさておき、日常的な「覚醒」状態(上記の1)以外の意識の状態を、変性意識状態(ASC: Altered States of Consciousness)と呼ばれる。

「覚醒」状態、夢見状態、夢のない眠りの三つの状態以外に、普通の人間が体験しうる特殊な意識状態としては、たとえば明晰夢(lucid dream: 自覚夢、覚醒夢)がある。夢の中で「これは夢だ」と気づいている状態である。俗に「金縛り」とも呼ばれる睡眠麻痺(sleep paralysis)は、入眠期の夢であり、通常の夢よりも明晰夢に近い。

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意識状態の「地図」[*2]

その他の変性意識状態としては、催眠状態、トランス状態、憑依、脱魂、瞑想状態、精神展開体験(サイケデリック体験)、臨死体験、エイリアン・アブダクション(「異星人による誘拐」あるいは「神隠し」)など、様々なものがある。とくに近代化された都市社会では、その多くが体験されることもなく、知られることさえない。社会がこれらの体験に価値をみとめていなければ、瞑想のように、それを意図的に起こそうとすることもない。

睡眠中の夢にかんしては誰もが体験するものだが、その体験内容が意味深いものであったとしても、それは心理療法などで、覚醒時の生活を改善するために利用されるのがふつうで、それ自体に価値があるとは考えられない。

通常の夢よりは頻度や強度は低くても、睡眠麻痺(金縛り)や、あるいは性的なオルガスムスなどもまた、誰しもが体験するものかもしれない。しかし、そうした体験に当事者が苦痛を感じるとき、それは病理とみなされ、精神医学の対象となるが、苦痛を感じない、あるいは快楽さえ感じるような体験は、医療の対象にはならない。けれども、臨死体験や瞑想体験が、健康な人を、ある意味でより健康にすることについては、臨床的見地からも研究される必要がある。

物理的、地理的な比喩でいえば、たとえ鎖国されていても、あるいは旅行や移住の自由があったとしても、それとは無関係に、日本で生まれ、日本で育ち、もっぱら自宅と職場の往復をして、日本で死んでいく自由もあるけれども、日常の生活世界の外部には、もっと広く多様な世界があるし、そこへ旅行することもできるし、移住することもまた可能だということを知っておくことは、有意義なことだといえる。

脳の状態としての意識の状態

精神が物質世界をつくるという唯心論的な立場に立てば、異なる意識状態が異なる現実をつくるというのは、むしろ当然の考えである。いっぽう、唯物論的な立場からすれば、「本当の覚醒」状態とされる意識状態が存在すること自体は否定しないが、それもまた脳の特殊な働きであると解釈できる。たとえば、神経伝達物質であるセロトニンとよく似た構造を持つ、シロシビン、DMT(ジメチルトリプタミン)、LSDなどの精神展開薬を摂取すると、これこそが「本当の覚醒状態」であると感じられるような、宗教的、神秘的な体験が引き起こされることがある。じっさい、中南米の先住民文化では、このような物質を含む薬草が儀礼的に使用されてきた。



記述の自己評価 ★★★☆☆
(大まかな概論であるが、細かい部分に不正確なところがある。)
CE2009/06/19 JST 作成
CE2021/07/20 JST 最終更新
蛭川立

*1:和訳としては、湯田豊(訳)(2001).『ウパニシャッド』大東出版社, 619-621.

あるいは、もうすこし入手しやすいものとしては、佐保田鶴治(訳)(1979).『ウパニシャッド』平河出版社, 288-290.

*2:ブラックモア, S. 信原幸弘・ 筒井晴香・西堤優(訳)(2010).『意識』岩波書店, 145. (Blackmore, S. (2005). Consciousness: A Very Short Introduction. Oxford University Press.)