SARSコロナウイルスの研究所内感染

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SARSの流行は、2002年11月に中国の広東省で最初の感染が報告されたところから始まった。

2003年7月5日にWHOはSARSの制圧を宣言したが、その後も散発的な感染は続いた[*2]

2003年12月から2004年1月にかけて、広東省広州市で4名の感染が確認された。これが最後に報告された自然感染者である。

研究所内での感染事故

その後は研究所内感染が続いた。

  • 2003年8月26日、シンガポール国立大学微生物研究所で研究所内感染が発生
  • 2003年12月8日、台湾国防大予防医学研究所で研究所内感染が発生
  • 2004年4月22日〜5月1日、中国疾病予防センター国立ウイルス学研究所(北京)で研究所内感染が発生[*3]

北京での研究所内事故は研究所外にも感染を起こしてしまった。研究所で感染した二十代の大学院生が発病後、安徽省の病院に入院し、看病していた五十代の母親が4月8日に発症し、4月19日に死亡した。病理解剖の結果、研究室由来の実験室株(HT-SCoV-2)に感染していたことが確認された[*4]

これがSARSの最後の感染であり、死亡者とされるが、その後も未公開の感染が起こっていた可能性は否定できない。

武漢から始まったSARS-CoV-2の感染についても、武漢病毒研究所で研究されていたSARS関連コロナウイルスが事故により漏出した可能性が指摘されている。



武漢病毒研究所で続けられたコウモリ由来SARS関連ウイルスの研究と、SARS-CoV-2の感染源についての議論は「SARS-CoV-2の起源と感染源」として独立させた。

記述の自己評価 ★★★☆☆
(ネット上の記事を整理したもので、ほとんど一次資料に当たっていない。)
CE2020/05/04 作成
CE2020/05/20 最終更新
蛭川立