妄想と陰謀論

妄想

認知バイアスが、誤った、揺るぎない、訂正不可能な信念(belief)となると、それは妄想(delusion)と呼ばれる。妄想は、しばしば精神疾患の症状として体験される。

統合失調症では被害妄想や関係妄想が、躁病では誇大妄想が、うつ病では微小妄想があらわれることが多い。また、自分が他人に迷惑をかけているという妄想も、うつ病であらわれやすい。ここには「被害/加害」「誇大/微小」という二元論をみることができるが、いずれも自己愛の異なる両面だとも解釈できる。

精神疾患にともなってあらわれる幻覚や妄想にはある程度決まったパターンがある。統合失調症で体験される幻覚の多くが幻聴、とくに幻声であり、宗教的な神秘体験(あるいは化学的な精神展開体験)でしばしば体験される幻視は少ない。

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ムンク『叫び』[*1]

シュナイダーは『臨床精神病理学』の中で、統合失調症にともなって出現しやすい特異な体験様式として「思考化声、言い合う形の幻声、自分の行動と共に発現する幻声、身体的被影響体験、考想奪取およびその他の考想被影響体験、考想伝播、妄想知覚、感情・志向(欲動)・意志の領域における他者によるすべてのさせられ体験・被影響体験」[*2]を列挙しており、これは「シュナイダーの一級症状」と呼ばれる。

統合失調症(陽性症状)の中核にある被害妄想は、周囲からの攻撃に対する過敏性であり、それ自体は生存のためには適応的な情報処理である。

精神病とは、意味の解体というよりは、むしろ意味の過剰である、とも言える[*3]。それは、病的ではない錯覚や妄想においても同様である。

強迫観念との違い

なお「妄想」とは、事実とは異なることを信じてしまうことであるが、精神医学でいう「観念」、とくに「強迫観念」とは、自分でもやりすぎだとわかっていても、どうしても気になってしまう思考のことである。

たとえば、出かけるときに家の鍵をかけたのにもかかわらず、鍵をかけ忘れたのではないかという観念にとらわれて、何度も家に引き返して鍵がかかっていることを確認することが止められないのを「確認強迫」という。

電車に乗っていたときに触った釣り革には何らかの病原体がついていたというのは、ほぼ事実である。帰宅後に手を洗えば病原体が洗い流されるというのも間違いではない。これらは正常な思考である。しかし、電車の中には病原体が充満しているので乗車することもできないとか、何回手を洗っても病原体が完全に洗い流されたと思えなくなり、生活に支障をきたすほどになると、それは「不潔強迫」や「洗浄強迫」と呼ばれる。

これに対して、妄想は、それを信じている当事者にとっては事実であり、反証事例によっても訂正されない。

第一に、確証バイアスがある。感染症を不安に思っている人は「感染者の累計数が増えている」という数字を見ると、やはり感染が拡大しているという信念を強め、「新規の感染者数は減っている」という数字は見ないか、見ても理解しようとしないか、忘れてしまう。

これに対しては「感染者数が少ないのは検査数が少ないからだ」という、ポスト・ホックではあるが合理的な「補助仮説」を加えることができるが、「政府やメディアは感染拡大の事実を隠蔽している」といった、一段深い階層の論理へと退行する場合もある。

あるいは「新型コロナウイルス生物兵器である」という信念が奇異であるのは、それが現実である確率が低いというほかに、信念の内部に「中国で開発された生物兵器が中国で使用された」という論理的な矛盾が存在する。この矛盾を解決するために、信念の内容が「中国が生物兵器を開発しているのは事実だが、事故でウイルスが拡散してしまった」と後退する場合もある。いっぽう、「アメリカで開発された生物兵器が中国で使用された」といった「補助仮説」によって信念が防護されると「妄想」の度合いは高まる。

陰謀論と終末論

西暦2001年9月11日に起こった同時多発テロは、アメリカの自作自演だった、という説がある。このテロが米軍のアフガニスタン侵攻の口実を作ったという弱い主張から、倒壊したビルの地下にあらかじめ爆弾が埋められていたという強い主張まで、それがどこまで正しいのかを検証するのは難しいが、ある出来事の背後に、不可視の大きな力による別の意図が隠されているという考えを「陰謀論(conspiracy theory)」という。陰謀論的な言説は、統合失調症パラノイア(偏執症)の被害妄想と共通性を持っている。

陰謀論を完全に否定することはできないが、じっさいにそうである確率が低いほど、より「強い」陰謀論になる。

2019年末に中国の武漢から感染が始まった新型コロナウイルスの感染源は、海鮮市場ではなく、ウイルス研究所だという説がある。もしそうだとしても、以下のような可能性がありうる。

  • 自然界で発生したウイルスが研究所から偶発的に流出した
  • 人工的に合成したウイルスが研究所から偶発的に流出した
  • 人工的に合成したウイルスが研究所から意図的に流出した

さらに強い陰謀論として、アメリカが開発した生物兵器が中国で散布されたという説もある。陰謀論の「強度」は、確率の低さだけではなく、偶発的な出来事よりも、意図的な出来事を重視することによっても評価される。また、起こりうる可能性が低いことほど、より強く意図的に隠蔽されているからだと理由づけをすることができる。また、その「意図」は、悪い意図であって、それを知っている自分が被害に遭っているのだという「被害妄想」と共通性を持つ。

ここには、意味のよくわからない出来事に単純な意味づけをして了解したいという情報処理のメカニズムをみることができる。もし世界がアメリカ政府や一部のユダヤ人の陰謀によって背後で操られているとしたら、それは恐るべきことである。しかし一方で、こうした因果論的な説明は、突発的な感染症の流行など、予測不能で原因不明な出来事などの不確実性に対する不安を和らげると同時に、闘うべき悪い意図を明確にしてくれる。

それは、一部の権力によって牛耳られている世界を変革しようという動機にもなりうる。自分たち少数の選ばれた人間だけがそれを知っているという、一種の誇大妄想、選民思想は、そうした動機づけをさらに強めてくれる。

また「1999年に人類が滅亡する」という「ノストラダムスの大予言」は、20世紀末に流行した終末論であるが、幸いなことに、人類が滅亡するというレベルの終末予言は、今のところ、すべて外れている。終末論は陰謀論と親和性があり、また統合失調症の症状としてあらわれやすい「世界没落体験」とも似ている。

陰謀論の適応的な側面

周囲を取り巻く環境の、良い方向への変化よりも、悪い方向への変化を、より敏感に察知する認知バイアスもまた、それ自体は適応的な情報処理であるといえる。

アメリカで行われた研究では、三人に一人が、新型コロナウイルスについての報道に虚偽や誇張が含まれていると考えており、また三人に一人が、このウイルスが実験室で人為的に合成されたと考えている[*4]という。

信念には、確からしさとは別に、主観的な強度の差異もある。一度ぐらいは「報道は事実を隠蔽しているのではないか?」と問うてみることは、健全な懐疑である。「報道は事実を隠蔽しているのではないか?」という問いに、繰り返しとらわれてしまうと、これは強迫観念である。「報道は事実を隠蔽している」と信じて疑わなくなってしまうと、それは妄想となる。

報道は真実を伝えていない、という場合に、事態はそれほど深刻ではないのに、不安を煽るようなニュースばかりを流しているのではないか、という楽観的な見方と、事態はずっと深刻なのに、事実は報道されずに隠されている、という悲観的な見方があるが、陰謀論は、悲観的な見方に偏りやすい。

また、支持政党別にみると、隠蔽論をとる人の割合は、共和党支持者で6割、民主党支持者で8割だという。もちろん、単純に共和党が保守的、反動的で、民主党が進歩的、革新的だとは言えないが、このことは、妄想や陰謀論という認知バイアスに、現状を改善しようという適応的な機能があることを間接的に示唆している。

また、陰謀論の信奉は、パーソナリティにおける開放性[*5]と相関する。悪い出来事の背景にある原因を探し出し、状況を改善しようということ自体は、前向きなバイアスであり、ときには、新たな事実を発見する力にもなる。
 



CE2017/05/16 JST 作成
CE2020/05/04 JST 最終更新
蛭川立

*1:Wikipedia叫び』(この絵が幻聴体験を描いているという定説はない。)

*2:シュナイダー, K.(著)・フーバー, G. ・ グロス, G.(解説)・針間博彦(解説)(2007).『新版 臨床精神病理学』文光堂, 115.

*3:意味の過剰は、統合失調症の陽性症状、躁病、うつ病、不安障害、強迫障害に共通するものだが、統合失調症の場合でも陰性症状においては、意味の解体という側面も無視できない。

*4:Koetsier, J. (2020).「米国人の3分の1が『新型コロナは人工ウイルス』と回答」『Forbes JAPAN』(2020/04/21 JST 最終閲覧)

*5:パーソナリティの5因子、ビッグファイブにおけるOpnenness。Brotherton, B. (2015). Suspicious Mind: Why We Believe Conspiracy Theories. Bloomsbury, 123.