【文献】『妄想はどのようにして立ち上がるか』

一般に「妄想」とは、反証事例によっても訂正が不可能な信念として定義される。

妄想の形成

『妄想はどのようにして立ち上がるか』には、訂正不可能性によって妄想を定義できるかを調べた実験が紹介されている。実験の手続きを敢えて単純化すると以下のようになる。

中身の見えない袋の中に、たくさんの球が入っている。球の色には、赤と緑の2種類がある。袋の中から(被験者ではなく)実験者が球を1個ずつ取り出し、袋の中には赤い球と緑の球のどちらが多いかを当ててもらう。1個ずつランダムに取りだしているように見せかけて、じっさいには、前半10回が、赤赤赤緑赤赤赤赤赤緑、続く後半10回が、緑緑緑赤緑緑緑緑赤緑、という順番に決められている[*1]

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『妄想はどのようにして立ち上がるか』(p. 128)[*2]

この結果を敢えて単純化すると、以下のようになる。

  • 統合失調症
    • 最初の1個が赤だというだけで「赤が多い」と結論してしまうこともある
  • 妄想性障害
    • 3回続けて赤が出た時点で「赤が多い」と結論する
  • 不安障害
    • 3回続けて赤が出た時点で「赤が多い」と結論するか、4回目に緑が出た時点で判断を保留し、5回目で赤が出た時点で「赤が多い」と結論する
  • 「健常」
    • 3回続けて赤が出て、その次に緑が出て、その次に赤が出た時点で「赤が多い」と結論する

さらに単純な図式にすると、以下のようになる。

将来について やや悪く考える かなり悪く考える
慎重に考慮する 「健常」 不安障害
性急に結論する 統合失調症 妄想性障害

悪い信念にも、確率的に大きなものから、確率的に小さいものまで、濃度差がある。「伝染病の蔓延で経済活動が悪化してしまう」というのは、確からしく、弱い信念である。「中国の生物兵器で攻撃されている」というのは、確からしさが低い、強い信念である。(ただし、確率は限りなく小さくても、ゼロにはならないから、絶対に「現実とは異なる」信念は存在しない。)

この実験には強迫性障害のグループも含まれていたが、考えすぎて結論が出せなくなってしまうので、ポスト・ホックに除外されたという。

興味深いのは、すべての人たちが現状を実際以上に悪いと考える傾向にあるということである、健常者とされる人たちでも、将来をやや悲観的に考える傾向がある。将来起こりうる出来事は、やや悲観的に考えておいたほうが、適応的なのだといえる。

妄想の維持

この実験には続きがある。「赤い球が多い」と結論した人に対して、じつは「白い球が多い」という反証事例を見せられたとき、どの程度信念が変わるか、という実験である。これは、従来の「妄想は訂正不能」という定義とは異なる結果となった。

むしろ、妄想を持たない健常者も不安障害も、判断するのには慎重だが、一度判断した信念は変えようとしない。しかも、不安障害のほうが、より悲観的な信念を変えられないので、そのことで苦しむ。

逆に、妄想を持つとされる統合失調症と妄想性障害の場合、性急に結論に飛びつくが、反証事例を見ると、すぐに信念をまったく違う方向に変えてしまう。感染症が蔓延すれば「中国の生物兵器で攻撃されている」と考えたり、三月に東京で雪が降れば「三月に雪が降ったのは天罰だ」と考えたり、結果的に思考は支離滅裂にみえるが、これは、環境の変化に対して俊敏に(微分的に)反応できる能力だともいえる。

この実験は「妄想」とは「反証事例によっても訂正されない信念」ではなく「じゅうぶんな証拠なしに性急に作られた信念」だということを示唆している。逆に、不安障害や「健常者」のほうが、反証事例によっても訂正できない信念を持ちやすいということでもある。



CE2020/03/31 JST 作成
CE2020/05/05 JST 最終更新
蛭川立

*1:このように実験協力者を騙すのは、倫理的には、あまりよろしいことではない。

*2:ガレティ, P. A. ・ヘムズレイ, D. 丹野 義彦(訳)(2006).『妄想はどのようにして立ち上がるか』ミネルヴァ書房, 128.