ナシ族を納西族と書き、モソ人を摩梭人と書くのは、ナシ族は中国55の少数民族の一つに数えられているが、モソ人はナシ族の一部とされているからである。じっさい、この二つの民族は系統的に近い関係にあり、社会構造の違いはもっぱら漢民族文化の浸透の度合いによる。
雲南のチベット系少数民族の社会は古代の日本と類似した特徴を持っている。これは、日本人のルーツがそこにあるというよりは、おそらくは華南の稲作文化の古い形態が、漢民族から見た周辺地域に残されたからなのだろう。
モソ人の「送魂」
瀘沽湖(Lúgū Hú)
瀘沽湖畔のモソ人の村で、熱でうなされているときに、自分の葬式が行われている悪夢にうなされ、やがて銃声とざわめきと、そして女たちが泣き叫ぶ声が…という体験は「2003年4月、SARS流行下の中国で発熱、臨死様体験」に書いた。
それは、外の世界で本当に起こっていた出来事だった。
たまたま宿の隣の家に住んでいた老僧が亡くなり[*1]、本当にチベット仏教式の葬儀が行われていたのである。
その後、ダパが老僧の家にやってきた。
Funeral Ceremony in Moso people (1), Yunnan, China (04/2003)
先頭を歩くのはダパ。「泣女」たちが大声で嘆き悲しむ
葬列で泣女たちが泣き叫んでいたのだ、銃声のように聞こえたのは爆竹だった。それにしても、小さな村に滞在して三日目、たまたま隣の家でお坊さんが亡くなるというのも不思議な話である。
あわててカメラを持って外に飛び出していき、そして爆竹の流れ弾で被弾し、後頭部に火傷をおってしまった。激しい爆竹は漢族の伝統である。こんなことだから火傷を負う人たちが後を絶たない。人民共和国政府は刑事罰として取り締まるようになったと聞いた。
Funeral Ceremony in Moso people (2), Yunnan, China (04/2003)
ダパによる「送魂」。死者の霊魂が無事に祖先の地に戻れるようにガイドする
死者の霊魂を無事、正しい場所に送り届ける「送魂」は、民間巫者であるダパ(ナシ族のトンパに相当する)の仕事である。
葬送儀礼の中で、彼ら(主に男性)は、死者に向かって、魂が道を間違えずに正しい場所(モソ人の場合、祖先の山)に向かえるように、音声ガイドを行う。
Funeral Ceremony in Moso people (3), Yunnan, China (04/2003)
火葬はチベット仏教のゲルク派の僧侶が執り行う
山の斜面で行われた葬送儀礼の場面をみると、社会的な上下関係が空間的な上下関係として明示化されているのがわかる。つまり、漢民族の観光客→仏教僧(高僧→低位の僧)→一般のモソ人男性→モソ人女性、となっている。ちなみに私自身はモソ俗人男性の視点でカメラを回している。(その方が、死者や僧に対する礼儀は別にしても、上から見おろすよりも良い映像が撮れるのだが。)
モソの葬送儀礼では、チベット仏教(ゲルク派)の僧侶とダパがそれぞれの役割を分担している。むしろ、チベット仏教の浸透と平行するように、民間信仰は、ナシ族ではトンパ教、モソ族ではダパ教と呼ばれるシステムに発展していった。これは、チベット本土でのポン教や日本での神道と似た発展過程だといえる。
トンパやダパは、巫者とはいわれるが、祭司/シャーマンの別でいえば、むしろ祭司という役割を担っている。モソのダパの場合も、召命ではなく世襲によって受け継がれる。ただし継承は母系のラインで、母方のオジからオイへ、というラインをたどる。
遺体の耳元で道案内をするという方法は、逆に仏教の中に取り込まれていった。英訳され広く知られるようになったチベット仏教ニンマ派の『バルドゥ・トェ・ドル(チベットの死者の書)』も、仏教と土着信仰のシンクレティズムとして成立していったと考えられる。
麗江のナシ族
広義のナシ族が住んでいる場所で、標高のもっとも低いところ、海抜2400mの地点にある麗江の街は、狭義のナシ族(以下「ナシ族」と書く)の中心地であり、観光開発が進んでいる。
ナシ族の社会は、18世紀ごろから漢民族の影響を受け(改土帰流)、走婚(→「走婚ー雲南省モソ人の別居通い婚」)の風習を捨て、父系化していった。自由恋愛から、交差イトコ婚が選好される社会になった結果、情死の文化が発達した。
同じ漢民族の周辺少数民族としてみた場合、これは中世から近世にかけて日本人(東夷・倭人)の社会が辿った歴史と並行関係にある。
ナシ族にとって玉龍雪山は、民族のシンボルである。日本人にとっての富士山のようなものか。
玉龍雪山の麓は情死の「名所」となった。共にトリカブトなどの毒草を服用し死を遂げた男女は、死後「玉龍第三国」と呼ばれる楽園で永遠に結ばれるという、ロマンティックな物語が人々の心をとらえた。
ホテルの壁にかけてあった、現代の画家が描いた玉龍第三国
(部分)
日本の物語文学といえば、もとは口承だったものが文字に記されるようになって成立した記紀、源氏物語、平家物語といったところだが、ナシ族の古典文学といえば、創世神話である「ツォバトゥ」であり、戦史である「スアドゥア」であり、そして情死をテーマとした「ルバルザ」である[*2][*3]。モソ人は「源氏物語」の世界を生き続けてきたのだが、代わりにナシ族は「曽根崎心中」の世界を生きることを選択したのである。
こうした文学や経典を書き記すために発達してきたのが、ナシ族独自のトンパ文字である。
トンパ文字によって記された経典
トンパ文字は甲骨文字と似た、原始的でどこかユーモラスな象形文字であり、ナシ族文化のシンボルとして積極的に商品化されている。日本では1990年代に流行した時期があり、当時の携帯電話でトンパ文字を送受信できるアプリもあった。(モソ族も同様の「ダパ文字」を持つが、暦で吉凶を占う目的でしか使われない。)
観光客向けにつくられたケンタッキーフライドチキン
(2003年4月、SARS流行による緊急状態宣言下で休業中。カーネル・サンダース氏もステイホーム)
モソ人よりもナシ族のほうが仏教文化の影響を受け、地獄や極楽という概念を発達させた。
ナシ族の地獄絵
モソ人のダパは死者の魂が祖先の地へ還っていけるように道案内をする。それに加えてナシ族のトンパは、事故や自殺のような非業の死を遂げた魂が地獄に落ちないように、積極的に助ける役割もある。
情死者たちの魂は、この世には戻れず、しかし祖先の地にも行くことができない。その代わりに「玉龍第三国」という楽園へと案内されることになったのである。
記述の自己評価 ★★★☆☆
(記述内容は現地調査に基づいているが、逆に文献的な裏付けが不足している。)
CE2006/09/25 JST 作成
CE2021/07/06 JST 最終更新
蛭川立
*1:死因については聞いていない。SARSに罹ったという噂も聞いていない。
*2:黒澤直道 (2014). ナシ族の歴史・言語・文学―雲南の高原で育まれた文化― FIELDPLUS, 11, 10-11.