スプーン曲げ騒動
超能力ブームが起こったのは1970年代である。
当時、一世を風靡したものに「スプーン曲げ」がある。ユリ・ゲラーが来日したのが1974年で、それからじつに40年後に、彼の自宅でスプーン曲げを披露してもらう機会に恵まれた。
たまたまロンドンに滞在していたときに、製作協力していた、NHKの『超常現象』[*1]の取材班がユリの自宅に取材に行ったのがきっかけだった。
目の前で唐突にスプーンを曲げられて呆然。視線が定まらない蛭川。(2014年、ロンドン郊外のユリ・ゲラー Uri Geller 宅)
このときにユリ・ゲラーが曲げたスプーン。本人のサイン入り。
どんどん批判してくださいよ、批判されればされるほど有名になりますからね、と屈託なく笑うユリは、エキセントリックな超能力者というよりは、フレンドリーなエンターテイナーという雰囲気の人物であった。
自分にできるのはスプーンを曲げることだけで、捻ることもできないし、フォークも曲げられないのだから、いまどきのマジシャンのほうがよっぽど優秀だ、とも言っていた。そういうところが意外に謙虚でもある。大の親日家でもあり、前世は日本人だったという。ならば日本語で話しましょうよ、と(英語で)提案してみたのだが、日本語は忘れてしまったとのこと。
スプーンを曲げるぐらいなら簡単なトリックで再現できる。そのことを衆目に知らしめたのがマジシャンのジェームズ・”アメイジング”・ランディ(James "Amazing" Randi)だった。オーストラリア滞在中に、懐疑主義者の研究会で、ランディの講演があり、そのときに、話ができる機会に恵まれた。
James Randi & Uri Geller
ランディのスプーン曲げマジック(6〜8分)
ジェームズ・ランディと議論する蛭川。(2014年、オーストラリア・ブリスベン)
「念力」と「筋力」
スプーン曲げを例にとるなら、なぜ「念力」で曲げたことになると不思議な超常現象だとみなされ、「筋力」で曲げたトリックだと明らかになると、その不思議が解消されたように思われるのだろう。
そもそも「超常現象 paranormal phenomena」とは何だろうか。現代の科学では未解明の現象、現行の理論では説明できない現象をすべて超常現象というなら、科学の最先端で研究されている現象は、のきなみ超常現象だということになってしまうが、普通、そういう言いかたはしない。
普通の物理法則のレベルではなく、因果律やエネルギー保存則など、より基本的な法則のレベルを破っているように見える現象を、とくに超常現象と呼ぶこともできる。しかし、物理学の基本法則を本当に破っているのは人間の意識そのものなのではないだろうか。
スプーン曲げの場合、曲げようとする意識のはたらきが、直接スプーンという物質に働きかけてスプーンが曲がるとされる。これを図式化すると、以下のようになる。
意識→(?)→スプーン
この「?」の作用を説明しようとして「念力 PK: Psychokinesis」という作用が仮定されることがある。
それに対して、念力など存在しない、手品だ、という立場に立つ場合、脳の運動野の神経細胞が興奮し、その興奮が運動神経を伝わって筋肉に伝わり、筋肉が収縮して腕や指が曲がり、その結果として手に持っているスプーンも曲がる。そう考えると、どこにも不思議はないように思える。そのメカニズムを図式化すると、以下のようになる。
脳→運動神経→筋肉→スプーン
しかし、この図式には、じつはスプーンを曲げようという意識が書かれていない。脳の働きが意識なのだと素朴に仮定すれば、何の問題もない。つまり、以下のような図式になる。
意識=脳→運動神経→筋肉→スプーン
しかし、意識という心的現象と脳という物的現象は、そもそもカテゴリーの異なる現象であって、並行関係にあるということはできても、同一視するのは、カテゴリーの混同である。といって、そこに並行関係以上の因果関係を持ち込むと、つまり、曲げようと意識しただけでなぜ運動野の神経細胞が興奮するのか、と考えてしまうと、以下のような図式になってしまう。
意識→(?)→脳→運動神経→筋肉→スプーン
この「?」は何だろうか。意識が脳に作用すると考えてしまうと、意識がスプーンに作用するという、超能力スプーン曲げと同型の奇妙な問題が出現してしまう。
「透視」と「視覚」
逆に、「透視 clairvoyance」について考えてみよう。裏返したカードの表の模様が、心の力によって見えたとする。これを図式化すると、以下のようになる。
カードの表の模様→(?)→意識
この「?」が、透視能力だということになる。
それに対して、透視能力など存在しない。裏の模様に細工がしてあったり、表の模様が机に反射して見えたのだ、という立場に立つ場合、カードに当たって反射した光が眼球の網膜に到達し、その興奮が視神経を伝わって脳の視覚野に、そして連合野に到達してカードの像が知覚される、と考えると、どこにも不思議はないように思える。そのメカニズムを図式化すると、以下のようになる。
カードの模様→網膜→視神経→脳
しかし、この図式には、最終的にカードの像を知覚する意識が書かれていない。脳の働きが意識なのだと素朴に仮定すれば、何の問題もない。つまり、以下のような図式になる。
カードの模様→網膜→視神経→脳=意識
しかし、意識という心的現象と脳という物的現象は、そもそもカテゴリーの異なる現象であって、並行関係にあるということはできても、同一視するのは、カテゴリーの混同である。といって、そこに並行関係以上の因果関係を持ち込むと、つまり、脳細胞が興奮すると知覚像が意識的に経験されるのか、と考えてしまうと、以下のような図式になってしまう。
カードの模様→網膜→視神経→脳→(?)→意識
この「?」は何だろうか。脳から意識に情報が伝わると考えてしまうと、物質から精神へ情報が伝わるという、透視と同じ問題が出現してしまう。
ただし「遠隔視」については、距離が充分に遠いので、上のような議論には当てはまらないが、といって、視覚の謎が解けたことにはならない。
「意識」という「超常現象」
宇宙の一部であるわれわれの身体の一部である脳から意識が発生し、物質的な宇宙を自己言及的に認識し、さらには自由意志なるものによって物質世界の運行に影響を及ぼせるという感覚は、当たり前のようだが、じつはそれ自体がとても不思議なことなのだ。なぜ、曲げようと思っただけで腕や指がその通りに曲がるのだろうか。物を見ている意識は、どこにあるのだろうか。本当に不思議な超常現象は、われわれの「意識」そのものなのである。
ただし、こうした形而上的議論を保留した上で、「脳=意識」として研究が進められているのだが、それが保留であることが忘れられがちであることには留意する必要がある。
CE2017/04/10 作成
CE2020/05/21 JST 最終更新
蛭川立
*1:BSプレミアム(2014).「秘められた未知のパワー」『超常現象、科学者たちの挑戦(2)』NHK(視聴には220円が必要なので、関心があれば観てください。)
www.nhk-ondemand.jp
「超能力」とされる現象とその科学的研究を交互に紹介する佳作。ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジに滞在中に取材協力をした。ユリ・ゲラーが自宅でスプーンを曲げた映像が収録されている。
メイキング的な書籍も出版されている。