向精神薬の呼称

向精神薬の意味は混乱している。それが神経細胞という物質にはたらきかけると同時に、服用した当事者は個々人に依存した精神的体験を引き起こすからであり、また嗜好品として用いられたり、法的に規制されたりする場合、独自の分類名が併用されるからである。

たとえば精神疾患の治療に用いられる薬物は「選択的セロトニン再取り込み阻害薬」のように、化学的な特性によって呼ばれる場合と、「抗うつ薬」のように、精神疾患という、改善されるべき主観的な経験によって呼ばれる場合の両方がありうる。

前者に統一するほうが「科学的」だとはいえるが、それは現状では難しい。精神疾患などの主観的な体験や、向精神薬がそれをどう変化させるのかというメカニズムが不明であることが多いからである。うつ病シナプスにおけるセロトニンの不足によって起こる、という仮説も、まだ確認された定説にはなっていない。

「麻薬」とオピオイド鎮痛薬

向精神薬の呼称の中で、もっとも意味が混乱しているのが「麻薬」である。これは、第一に、「麻薬及び向精神薬取締法」という法律が定める薬物のことであるが、向精神薬の下位概念であるはずの麻薬が、向精神薬と併記されている。

日本の法律では、規制の対象となっている向精神薬が「麻薬及び向精神薬」「覚醒剤」「大麻」「あへん」という分類になっており、「あへん」は「麻薬」には含まれていない。これは、法律が制定された歴史的背景によるもので、その分類には薬理学的一貫性がない。

同時に、社会的に使用される俗語のレベルでは、法的に規制されている、ないしは社会的規範に反しているとみなされる向精神薬は、すべて「麻薬」と呼ばれることもある。

医学的にいう「麻薬」は、「麻薬性鎮痛薬」のことである。さらにややこしいのは、この「麻薬」という言葉の中に「麻」という言葉が入っていることである。これは、かつて中医学大麻が鎮痛薬として使われていたことに由来するらしい。

こうした混乱を避けるためには、物質名を使って「オピオイド鎮痛薬」とするのが良いだろう。ただし、ここにも「オピオイド」という物質名と「鎮痛」という主観的体験の両方が含まれている。

精神刺激薬と中枢刺激薬

精神刺激薬、中枢刺激薬、神経刺激薬、中枢神経刺激薬は、ほぼ同義に使われる。

ただし、ADHDの治療に使われるアトモキセチンはメチルフェニデートと違ってドーパミン再取り込み阻害作用を持たないので、非中枢刺激薬と呼ばれる。アトモキセチンを精神刺激薬に含めるかどうかについては議論があるが、もし含めるとすれば精神刺激薬であってかつ中枢刺激薬ではないことになり、精神刺激薬と中枢刺激薬は異なるカテゴリーになる。

精神展開薬

精神展開薬は「psychedelics」の和訳である。精神拡張薬、あるいは片仮名で「サイケデリックス」とすることもある。「サイケ」や「サイケデリック」という言葉は、特定のサブカルチャーと結びついたイメージが強く、医学的に中立な用語ではない。

幻覚剤(hallucinogen)という用語もあるが、精神展開薬の主たる作用が幻覚というよりは意識状態の変容であること、また精神医学で「幻覚」というと、統合失調症などの症状としてあらわれてくる不快な幻聴というニュアンスと結びつくので、注意が必要である。

エンテオゲン(entheogen)顕神薬という用語も使われるが、これも「神」という宗教的概念が含まれるので、医学的には中立ではない。

共感薬

なお、精神展開薬の一部には、MDMAのような、共感作用を持つ物質がある。これについては、enpathogen、entactogenという用語が使われることがある。Enpathogenとは、苦しみ(パトス:pathos)を共有するという意味を持つが、pathogenという言葉には、病原菌という意味もあるので、避けたほうがよいという考えもある。日本語での定訳はなく、エンパトゲン、エンタクトゲンと片仮名で使われることもあるが、強いて訳せば「共感薬」となるだろう。

MDMAのような物質は、間接的にオキシトシンの分泌を促すことによって共感作用を引き起こすという機序が考えられている。それゆえ、オキシトシンも共感薬に分類することもできる。GABAの受容体に作用するエチルアルコールバルビツール酸ベンゾジアゼピン、あるいはカヴァラクトンも、似たような作用を引き起こす。

「薬」と「剤」

なお「薬」と「剤」の両方が使われる場合があるが、どちらも同じような意味である。「薬」は、どちらかといえば物質そのもの、「剤」は「錠剤」や「散剤」のように、薬剤の形態を指すことが多い。



2019/02/24 JST 作成
2019/06/17 JST 最終更新
蛭川立