【資料】レヴィ=ストロース『構造・神話・労働』

 構造人類学への関心が最初にあらわれたのはオランダでありました。そうなったについては二つの理由があります。もっとも、この二つは表裏一体をなしておりまして、そのひとつと申しますが、第一の側面と申しますか、それは、オランダ人たちがすでに、一九二〇年代から三〇年代からして、最初の構造主義者であったということです。この構造主義には根深い根拠がありました。それは、当時のオランダ人が研究の対象としていたインドネシアの社会自体の性格から来ていたのです。つまり、オランダの人類学者たちが最初の構造主義者となったのは、インドネシアの人びと自体がすでにして構造主義者であったからなのでした。
 
 わたしたち構造主義者は、ものごとを図式化し、単純化し、「文化」と「自然」といった一刀両断的な対立項を用いるといって、しばしば非難されていますけれど、このような非難をする人びとには、そうした対立項なり体系なりが、なにもわたしたちのでっち上げたものではなく、わたしたちが研究の対象としている社会自体があらかじめ創り出していたものであって、わたしたちはただそれを借りるにすぎないのだということがわかっていない。その点で、オランダ思想の例、とりわけオランダ民族学の例は、まことに興味深いものと思われます。
 

 レヴィ=ストロース『構造・神話・労働ークロード・レヴィ=ストロース日本講演集ー』[*1]

構造主義という方法論は、ほんらいアナログ的な非西洋文化を、西洋的な、デジタル的な二元論によって都合よく分析しているだけなのではないか、という批判に対する反論である。

たとえばインドネシアのバリ島民は、あらゆる事物を「kaja / kelod」という二項対立によって分類しているが、それは、バリ島民自体が(当事者たちが意識していなかったとしても)構造主義者だからである。

19世紀初頭からこの「東インド諸島」を支配していたオランダは、現地人の文化を保護しながら統治するという政策をとるようになり、とりわけ第二次大戦前の1930年代には、オランダをはじめとする西欧諸国の学者たちによって伝統文化の研究が進展した。

デ・ヨセリン・デ・ヨング『オランダ構造人類学[*2]に、オランダ人が見出した「インドネシア構造主義」の豊富な実例が論じられている。



2109/06/14 JST 作成
2019/07/08 JST 最終更新
蛭川立

*1:レヴィ=ストロース, C. 大橋 保夫・三好 郁朗・松本 カヨ子・大橋 寿美子(訳)(2008).『構造・神話・労働ークロード・レヴィ=ストロース日本講演集ー』みすず書房, 33.

*2:デ・ヨセリン・デ・ヨング, P. E. 宮崎恒二(訳)(1987).『オランダ構造人類学せりか書房. (de Josselin de Jong, P. E. (1977). Structural Anthropology in the Netherlands. Martinus Nijhoff.)

オランダ構造人類学

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