上代から近世に至る主要な古典の網羅的集成としては、岩波書店の『日本古典文学大系』、新潮社の『新潮日本古典集成』、小学館の『日本古典文学全集』がある。
岩波『日本古典文学大系』
岩波の『日本古典文学大系』(全100巻)と、増補改訂版の『新日本古典文学大系』(全100巻)が、収録されている作品数がもっとも多く、かつ、注釈等がもっとも専門的で、伝本の異同などは研究には必須ではあるが、いっぽう、現代語訳がなく、初学者向きではない。
国文学研究資料館のサイトで「『日本古典文学大系』の全文データベース」が公開されている。
小学館『日本古典文学全集』
小学館の『日本古典文学全集』(全51巻)は主要な古典を網羅しつつ、原文と註のほかに、全文の現代語訳があるのが随一であり、訳を斜め読みしながら、ときどき原文に戻る、といった読み方ができる。
収録書の数を増やした改訂版『新編 日本古典文学全集』(全88巻)も出版されたが、これはオンライン版も有償で公開されている。
新編では注釈が二色刷になって読みやすくなったいっぽう、書物のデザインにこだわれば、背表紙のフォントなどもモダンで、好みが分かれるところもあるだろうが、いかにも古典らしい味わいが薄れてしまったという感もある。
新潮社『日本古典集成』
新潮社の『新潮日本古典集成』(全82巻)は、和歌の場合には注の中に全文の現代語訳があるが、長い文章の場合、原文の解りにくい箇所にかぎって赤茶でルビをふるように現代語訳がつけられており、ユニークな構成である。敷居の高さでは岩波版と小学館版の中間といったところであろうか。
また下記の表を見ればわかるとおり、「文学」の語を入れていない新潮社版のほうが、より「文学」に重きを置いた選書になっている。
収録文献の比較
上代に始まる古い文献がどの全集におさめられているかを一覧表にすると、以下のようになる。
全集名 | 巻数 | 万葉集 | 風土記 | 古事記 | 日本書紀 | 続日本記 | 日本霊異記 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
岩波旧大系 | 100 | ○ | ○ | ○ | ○ | − | ○ |
岩波新大系 | 100 | ○ | — | ー | ー | ○ | ○ |
小学館 | 51 | ○ | ー | ○ | ー | ー | ー |
小学館新編 | 88 | ○ | ○ | ○ | ○ | ー | ○ |
新潮社 | 82 | ○ | ー | ○ | ー | ー | ○ |
『風土記』や『日本書紀』のような、地理・歴史書の色彩の強いものは新潮社版には収録されていない。小学館の全集も全51巻には収録されなかったが、88巻に増えた新編では『続日本記』以外のすべてがおさめられている。
研究室には小学館の新編全集の、平安時代ぐらいまでの巻を所蔵している。古代以前の神話や説話を、ちょっと現代語訳で概観するのに、これが便利だからである。新潮社の集成の、和歌や物語の巻も何冊かは持っているが、これは、どちらかといえば個人的な趣味である。
和歌大系
なお、和歌に特化した選集としては、明治書院より『和歌文学大系』の刊行が始まっている。これは『みだれ髪』のような、明治期以降の作品まで視野におさめている。現在刊行進行中であり、未完である。
作者が女性であるものだけを集めた『女人和歌大系』(全6巻、風間書房)というユニークな集成もある。余談ながら、古代より女性が文字を用いてその心情を綴ってきたというのは日本文化の特筆すべき側面であり、鈴木大拙は鎌倉時代における日本思想の展開を論じた『日本的霊性』の中で、古代日本文学の「女々しさ」を批判的に捉えつつも、その後の文化的展開を準備したものとして「平安期女性の創造的天才に対して、十二分の謝意と敬意とを表すべきである」[*2]と述べている。これを異文化として人類学的に論じたレヴィ=ストロースもまた、11世紀に花開いた『源氏物語』をはじめとする日本古代の王朝文学の、憂愁をおびた微妙で繊細な心理描写は、西洋よりも七百年は先んじていたと驚きの意を表している[*3]。ただし、これ以上の議論は文献案内を超えることになるので、稿を改めたい。
文庫本など
各々の作品は独立した単行本としても出版されている。また主要な作品については文庫本として手に入れることができるが、文庫だからといって手軽だというわけでもない。
文庫の場合、逆に紙数が限られてしまうという制約がある。たとえば岩波文庫の『日本書紀』は、万葉仮名による原文までが全文掲載されており、注釈も詳細で、しかし専門研究者以外には不要な情報もあり、現代語訳がないのは、かえって敷居が高い。逆に講談社学術文庫の『日本書紀』は、現代語訳だけで、註も少ない。ざっと読むだけであれば、現代語訳だけの文庫でも良いだろうし、『源氏物語』のように、各種の翻訳、超訳、さらには二次創作の域に達している意訳の数々を、それ自体を訳者の作品として鑑賞する、という読み方もあるだろう。
いっぽう、和歌の類いは、そもそも原文がなければ、歌としての押韻やリズムがわからない。しかし、岩波文庫のコンパクトな『古今和歌集』を手に取ってみても、すべての歌が原文で列挙されているだけで、解読の手がかりがない。和歌は、それが詠まれた文脈や、ひとつの言葉に込められた複数の意味などについて、その解説がないと内容が理解できない。
その点、大きな本の長所は、情報量が多いところにある。原文があり、現代語訳があり、専門的な註、あるいは基礎知識を補う解説があり、また巻末に地図や系図などがあるものが、けっきょくは読みやすいのであって、文庫だからといって手軽だというわけではない、というのは、そういう意味である。
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記述の自己評価 ★★★☆☆
(自分の勉強用に本を買ったときに調べたことなので、専門的な見地からのレビューではない。)
2019/06/19 JST 作成
2019/10/25 JST 最終更新
蛭川立
*1:中沢新一 (2019).『日本文学の大地 (角川ソフィア文庫) 』 KADOKAWA.
*2:鈴木大拙 (1972).『日本的霊性』岩波書店, 79-80.
*3:レヴィ=ストロース, C. 三保元(訳) (1986).「おちこちに読む」『はるかなる視線 (1)』みすず書房, 106.(原書は1983年刊行)