中米先住民文化と精神展開性植物

中米先住民文化

アメリカ大陸の先住民文化の中で、その社会が「国家(state)」といえる段階まで分化したのは、メソアメリカとアンデスの二つの文化領域である。


メキシコ先住民の言語の分布[*1]
 

スペイン人が到来する直前、16世紀の文明[*2]
 
https://balagan.info/wp-content/images/war/new-world/mexico/mesoamerican_chronology_1345px.jpg
中米先住民文化の年表[*3]

メソアメリカでもっとも古い「文明」は大西洋岸のオルメカである。言語の系統からすると、小国家群を形成したマヤと、スペイン人到来の直前に帝国として発展したアステカが二つの大きな文化圏を形成していたが、その中間には、現在のオアハカ地域を中心に、オト・マンゲ系の文明が存在した。

中米の精神展開性植物

中米の先住民は精神展開薬(→「精神展開薬」)(psychedelics)を含む薬草を宗教儀礼で用いてきた。現在のメキシコとペルーは、多種の植物・菌類、あるいはヒキガエルのような動物など、天然の精神展開薬の使用が集中している地域でもある[*4][*5]

現在のメキシコ中北部ではサボテンの一種でメスカリンを含むウバタマ(Lophophola williamsii[*6]が使用されてきた。アステカ帝国を築いたナワ人のナワトル語で「peyotl(きらめき)」、あるいはそのスペイン語訛りである「peyote(ペヨーテ)」の語が一般に用いられる。ペヨーテの使用は、ネイティブ・アメリカン・チャーチ運動とともに、現在のメキシコからアメリカ合衆国へ、さらにカナダの先住民社会へと北上した。

http://4.bp.blogspot.com/-JBNUo3Ub6I4/UMssvY_hSnI/AAAAAAAABRo/V-MZvJPH07w/s400/Geographic_distribution_of_the_genus_Lophophora.jpg
Lophophola属の分布[*7]
 
https://pbs.twimg.com/media/ELRb3I8X0AUxhPD?format=jpg&name=medium
アメリカ先住民におけるペヨーテの儀礼的使用の拡大[*8]

現在のメキシコ南部、オト・マンゲ系の先住民社会ではシロシンやシロシビンを含むシビレタケ(Psilosybe spp.)が儀礼的に使用されてきた。ナワトル語では「teonanácatl(神の肉)」と呼ばれる。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4a/Psilocybe_semilanceata_6514.jpg
Psilocybe.mexicana[*9]

スペイン人による征服直後に、アステカ人たちがシビレタケと思われるキノコを儀礼的に用いていたという記録が多数残されている。

https://sinchi-foundation.com/wp-content/uploads/2018/09/Ghost-Dance_Codex-Florentine-.jpg
アステカ人がテオナナカトルを食べていたという記録(16世紀)[*10]

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c6/Mushroom-effigy-02w.JPG
メキシコのコリマから出土した、キノコの周りで踊る人々の像(BCE200年〜CE100年)[*11]

シビレタケ属のキノコ自体は中米だけではなく日本やヨーロッパなどの温帯地域に広く分布している。日本でもシビレタケを偶然に食べてしまったという記録は12世紀にまで遡るが[*12]、それを儀礼的に使用する文化を発達させたのは中米の先住民だけである。


シビレタケの分布[*13]

オアハカのオト・マンゲ系先住民文化

メキシコ南部のオアハカ州は先住民人口の多いところであり、その多くは主にオト・マンゲ系である。


モンテ・アルバン遺跡(モンテ・アルバンⅢ文化:-500〜800年)
 

ミトラ遺跡(ミシュテカ文化:1100〜1500年)
 
(ズームインすると遺跡を見ることができます。)

マサテコのシビレタケ儀礼

オアハカマサテコ社会では、アステカ滅亡後もシビレタケ(Psilosybe spp.)が儀礼的に使用されてきた。


ウアウトラ・デ・ヒメーネス

マサテコのウアウトラ・デ・ヒメーネス村で採集されたシビレタケから精神展開薬であるシロシビン、シロシンが発見されたことがきっかけで、村は観光地になり、呪医マリア・サビーナは白人たちから聖女のように崇拝されることになった。


マリア・サビーナの伝記『マリア・サビーナ、その生涯と祈り』[*14]
 

マリア・サビーナの跡を継いで呪医になった孫のフィロゴニオ・ガルシア[*15]

筆者は1987年にウアウトラ・デ・ヒメーネスのフィロゴニオ・ガルシアを訪ねて、聖なるキノコの儀礼に参加した。そのときの体験は「星を観る眼」というエッセイに書いている。


ガイド兼運転手さんとガルシアさんと記念写真。
 

儀礼の準備をするガルシアさん。祭壇はキリスト教式になっており、右下にシビレタケが置いてある。儀礼のBGMにはバイオリンが使われる。
 

この日に儀礼で使われたキノコは「Derrumbe(土砂崩れ(の断崖に生えるキノコ))」と呼ばれていたが、Psilocybe aztecorumのことである。そのほかに「Pajarito(小鳥)Psilocybe mexicana」「San Isidro(聖イシドロ)Psilocybe cubensis」「Niño de agua(水の子)(種名不詳)」が使われる。

儀礼を撮影した写真は『意識変容の人類学』にも収録したが、動画は、うっかり上書きして消してしまった。なお、ほぼ同じ時期に同じ村を訪れたNHKスペシャルの取材班が儀礼の様子を記録している[*16]。)

精神展開体験と自我

外来の白人によって見出された精神展開薬は、西洋近代社会において、まったく異なる文脈で評価されるようになる。「精神・展開(psyche-delic)」とは、服用した当事者の自我の抑制が弱まり、また無意識の情報が意識に昇ってきやすくなることを意味する。

マサテコのシビレタケ儀礼に参加した妖怪漫画家水木しげるが活写したように[*17]、子宮への回帰、母胎と自己とが分離する以前の世界への象徴的な一体化が体験されることもあり、これは、たとえばメキシコ先住民ウィチョール[*18]や、アマゾン先住民デサナの経験世界[*19]に近い。

しかし、水木氏のように、がんらい霊的存在と違和感なく共生してきた特異な才能は例外であって、いくばくかでも近代的な自我をインストールされた脳に精神展開薬が作用するとき、その体験は先住民文化の文脈を離れて、もっと抽象度の高いものになる。(ただし、中南米先住民の象徴的・神話的な世界観を超えた、より抽象的なコスモロジーは、むしろインドに始まり仏教を通じて洗練されていった精神文化と対比して、別途、詳述したい。)

作家の田口ランディも筆者と同じウアウトラ・デ・ヒメーネスでマサテコの儀礼に参加している。神秘的な儀礼に参加して、神秘的な薬草を一服すれば、神秘的な幻覚が見られるだろう、と期待していたのに、なにも見えない。儀礼を中座し、手洗いに立ったときに、神秘体験がおとずれる。

そこに存在するものは一〇〇パーセント現実だった。何一つとして非現実はなかった。つまり見えないものが見えたわけでなく、見えているものが見えているだけだったのだ。
 
階段を降りて家の裏へと向かう。そして、あの汚いトイレの前に立って、壊れかけた扉を開けたとき、目を疑った。トイレはありのままに汚かった。汚いことに変わりはなかった。何一つ変化していなかったにもかかわらず、そのトイレは神々しさで光り輝いていたのである。汚れているにもかかわらず高貴で神聖なものとして私には感じられたのだ。その神聖さたるや、私が体験したすべての神聖を足しても足元にも及ばないほどの神聖さだった。というか、私は生まれて初めて神聖とはどういうことなのかわかった。こういうことなのである。このような感情、感覚を私に与えるものが神聖なのである。つまり私はこれまで神聖なも のを見たことがなかったのである。そして、最初に接した神聖さをもつものが、メキシコの田舎の糞まみれになったトイレだったのである。
 
(中略)
 
結局、私はとうとう幻覚を見なかった。何一つ。現実に見えるもの以外のものを見なかった。マジックマッシュルームをあんなに食べたのに!幻聴すらなかった。私に聞こえるものはありきたりの、つまり日常の、現実の音だけだった。ただ、私が体験した現実は信じられないほど神々しかったのである。変わったことと言えばそれだけだった。

 
田口ランディアルカナシカ

デュシャンが『泉(Fontaine)』という作品を通じて表現したかったのは、あるいは、こういうことだったのか。ヴィトゲンシュタインが「世界に神秘は存在しない。世界が存在することが神秘なのである(Nicht wie die Welt ist, ist das Mystische, sondern daß sie ist)[*20]」という言葉を通じて伝えたかったのは、あるいは、こういうことだったのか。

一次視覚野に入った情報が大脳を遡行し、意味のある情報と意味のない情報、美しいものと醜いもの、と分節される以前の、入力された知覚情報そのものが経験される。自我のはたらきが弱まり、そしてついに停止するということは、自他、美醜、善悪などの二元論的な情報処理が停止するということでもある。自我のはたらきが消えた状態を自我の言語で記述することは矛盾であり、それゆえ原理的に不可能なことではあるが、強いていえば、フッサールの「判断中止(Urteilsenthaltung)〜エポケー(epokhế)」、ジェイムズや西田の「純粋経験(pure experience)」、あるいはインド哲学・仏教学における「無分別知(nirvikalpaka-jñana)」といった概念で記述されてきた経験に近いものであろうか、と、ここでは疑問形で書いておくしかない。

むしろ、日常と呼ばれる意識状態のほうが、当座の生活に不要な情報をフィルターにかけて落としているのだろう。田口ランディは自身の精神展開体験を振り返り「私はきっと、見ようとしていなかったんだ。いや違うな。いちいちこんなに感動していたら社会生活が営めない。だから、自分から閉じたんだ。感受性を遮断した。(中略)それを開放するのは、たぶん危険なのだ[*21]」と結論づけている。同じメキシコ先住民が用いてきたペヨーテを食した中島らももまた、彼が期待していたような幻覚を見ることがなく、現実そのものを見る、という体験をしている。そして「これは、異常というよりは、それまで鈍く目づまりしていた色彩に対する感性が正常に戻ったのではないか。世界というのは、ほんとうはとてつもなく美しいものなのかもしれない。しかし、美しさにかまけて呆然としていては生きていけない[*22]」と、同様の結論に達している。

治療薬としての精神展開薬

精神展開薬が引き起こす神秘体験については別途詳述したいが、近年では精神疾患の治療薬として、より実際的な研究が進められている。シロシビンのほか、LSD、DMT、MDMA、ケタミンなどが、とくに不安とうつに対して有効であるというエビデンスが集積され[*23]ケタミンは治療抵抗性うつ病の治療薬として使われはじめている。

精神展開薬は直線的な時間という情報処理を止めて「今ここ」に意識を戻す作用がある。うつは過去を後悔する心理であり、不安は未来を心配する心理であるから、これらの薬物が治療に役立つのだろう。

しかし、「バッドトリップ」という有害な副作用もある。不安、恐怖、パニック、不快感、パラノイアなどであり、これはドーパミンの過剰によって起こる精神刺激薬精神病(統合失調症の陽性症状と共通する)とも重なる部分がある。目の前にある世界それ自体を見ても、それが神々しい真の実在と感じられることもあれば、サルトルの『嘔吐』のように、むき出しの不気味さに感じられることもある。

精神展開薬は、うつや不安など、SSRIが効きそうな病気の治療には役に立つのかもしれないが、より本格的な精神病には逆効果になる可能性もある。上記の研究では、ICD-10DSM-IVの診断基準に従い

に対しては注意が必要であるとしている。

アメリカ先住民文明とパラノイア型社会

宮西照夫は、精神病的な信念の社会化という観点からメソアメリカ文明の興亡を論じている。アステカ帝国が軍事力において劣勢だったスペインに征服されたのは、天然痘などの病原菌が持ち込まれたという理由が大きいが[*24]、同じように疫病による大打撃を受けた後も、インカの人々が酸素の薄い高地でコカの葉を噛みながら、五十年にわたって抵抗を続けたことと比較すると、アステカがわずか二年で制圧されたのは、あまりにも短い。人々がスペイン人の到来と、ケツァルコアトルの再来による終末予言とを妄想的に混同していたのもまた事実である。

また、上記の編年表にあるとおり、古典期マヤ文明は7世紀にいったん滅んでいる。農耕の限界、疫病の流行といった要因以外に、シロシビンを含む精神展開薬がつくりだした終末論的妄想を自己成就させてしまったとのではないかというのが宮西の説である[*25]


宮西による古典期マヤ文明滅亡の要因論[*26]

上図の「世界崩壊感」は、精神病理学では「世界没落体験(Weltuntergangserlebins)」ともいう。宗教的世界観は陰謀論や終末論(→「妄想と陰謀論」)をともなうことが多いが、それはまた統合失調症の陽性症状やパラノイド的パーソナリティ障害の妄想とも共通するところが多い。

木村敏は「統合失調症/躁病・てんかんうつ病」に対応する時間観念として「ante-festum / intra-festum / post-festum」(祝祭の前/中/後)という三分法を提唱したが[*27]、切迫する世界没落体験は、未来に対する取り越し苦労とは区別されなければならない。後者は、いわゆる不安障害の心性であって、「後の祭り」を後悔する欝病的な心性とひと続きになっている。精神展開薬は、自己意識を現在に引き戻すことによって「不安ーうつ」という時間の束縛から自己を解放するのだろう。

中井久夫は、かすかな予兆に敏感な狩猟採集民の心性と統合失調症の症状との間の類似性を指摘し、これを「微分回路的認知[*28]」と呼んだが、精神展開薬は意識の時間を現在のゼロ点へと収束させて行くことによって、逆に微分的認知の感度をさらに過敏にしてしまうのかもしれない。


追記:サンペドロ

ペヨーテと同様、メスカリンなどを含むサボテンとしては、南米で使用されてきたサンペドロ(Echinopsis pachanoi)がある。詳細は「サン・ペドロ」を参照のこと。

https://i.redd.it/9qkbppowwzg71.png
サンペドロが自生していた地域[*29]



記述の自己評価 ★★★☆☆
(多様な内容が混在しており、個々に独立させて、言葉を補い、整理する必要がある。学部学生など初学者向けの教材としては、学術的にみて細かすぎるところがあり、適宜、読み飛ばされたい。)
CE2017/10/29 JST 作成 
CE2023/02/04 JST 最終更新
蛭川立

*1:Instituto Nacional De Lenguas Indígenas (メキシコ国立先住民言語研究所). Catálogo de las lenguas indígenas nacionales: Variantes lingüísticas de México con sus autodenominaciones y referencias geoestadísticas.(2019/05/28 JST 最終閲覧)

*2:Davies, D. (2016). How to spot untrustworthy resources on the Maya. Maya Archaeologist.(2019/05/28 JST 最終閲覧)

*3:Steven Thomas (2003).「Timeline for Mesoamerica」『Steven's Balagan』(2021/05/25 JST 最終閲覧)

*4:https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S2173580814001527

*5:https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0378874121004700

*6:[asin:B085T56WBW:detail] 日本でも園芸用として一般に売られているが、観賞用である。一般に流通しているものには精神展開性の成分はほとんど含まれていないらしい(未確認情報)。

*7:LOPHOPHORA「Geographic distribution of peyote / Lophophora - diversity and biogeography of Lophophora」『LOPHOPHORA』(2020/05/26 JST 最終閲覧)

*8:The Decolonial Atlas on Twitter: "Increasingly coveted and over-harvested by non-natives, peyote is sacred medicine, and its cultivation must be indigenous-managed. Map from the Atlas of the North American Indian by Carl Waldman https://t.co/GJDxwdrXgq" / Twitter

*9:シビレタケ属」『Wikipedia』(2021/05/26 JST 最終閲覧)

*10:無署名記事 (2018).「PART 3 – THE SECRET STORY OF THE SACRED MUSHROOM」『SINCHI』(2021/05/25 JST 最終閲覧)

*11:Teonanácatl」『Wikipedia』より引用。(2021/05/26 JST 最終閲覧)

*12:「尼ども山に入り、茸(たけ)を食ひて舞ひし語」『今昔物語』第28巻(馬淵和夫・国東文麿・稲垣 泰一(訳)(2002).『新編 日本古典文学全集38・今昔物語集(4)』小学館.)

小学館の新しい全集は解説が丁寧で初学者向きである。)

*13:Guzmán, G., Allen, J. W. & Gartz, J. (1998). A worldwide geographical distribution of the neurotropic fungi, an analysis and discussion. Annalidei Museo Civico Rovereto, 14, 189-280.

*14:Estrada, A. (1981). Maria Sabina: Her Life and Chants. Ross Erikson.

*15:Miranda, J. (1997). Curanderos y Chamanes de la Sierra Mazateca. Gatuperio Editores. www.amazon.com

*16:林勝彦・辻篤男・カウリング, T.(制作総括)(2008).『NHKスペシャル 驚異の小宇宙 人体II 脳と心 第6集 果てしなき脳宇宙~無意識と創造性~』NHKエンタープライズ.

この番組には、精神展開体験のCG再現映像もある。シビレタケを使った(健常者に対する)心理療法の試みについては『死生観の人類学』でも取材している。

*17:水木しげる大泉実成 (1999).『 水木しげるの大冒険幸福になるメキシコ妖怪楽園案内祥伝社, 192-207.

*18:バブコック, B. A. 岩崎宗治・井上兼行(訳)(2000).『さかさまの世界―芸術と社会における象徴的逆転―』岩波書店. (Babcock, B. A. (1978). The Reversible World: Symbolic Inversion in Art and Society. Cornell University Press.)

*19:ライヘル=ドルマトフ, G. 寺田和夫・友枝 啓泰(訳)(1973).『デサナ―アマゾンの性と宗教のシンボリズム―』岩波書店. (Reichel-Dolmatoff, G. (1968). Desana : Simbolismo de los Indios Tukano del Vaupés. Universidad de los Andes.)

*20:蛭川立 (2009).『彼岸の時間』春秋社.のエピグラフに載せた『論理哲学論考』の私訳。

*21:田口ランディ (2005).『オラ!メヒコ角川書店, 130-141.

*22:中島らも (1999). 『アマニタ・パンセリナ集英社文庫)』集英社, 117-119.

*23:研究報告は多数あるが、たとえば、Hovmand, O. R. (2019). Medical Psychedelics: The evidence-based textbook about the clinical applications of LSD, psilocybin, ayahuasca, DMT, MDMA and ketamine. Independently published.は、2019年までの研究のレビューである。

*24:ダイアモンド, J. M. 倉骨彰(訳)(2012).『銃・病原菌・鉄(上)―一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎―』草思社. (Diamond, J. M. (1997). Guns, Germs, and Steel: the Fates of Human Societies. W.W. Norton.)

ダイアモンド, J. M. 倉骨彰(訳)(2012).『銃・病原菌・鉄(下)―一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎―』草思社. (Diamond, J. M. (1997). Guns, Germs, and Steel: the Fates of Human Societies. W.W. Norton.)

*25:宮西照夫・清水義治 (1995).『古代文化と幻覚剤―神々との饗宴―』川島書店, 85-91.

*26:前掲書, 90.

*27:木村敏 (1982).『時間と自己』中央公論新社.

*28:中井久夫 (1982).『分裂病と人類』東京大学出版会, 9.

*29:Trichocereus Pachanoi aka Auchuma, San Pedro Cactus, one of the sacred [and hallucinogenic] cacti: where its from, what it looks like, all that good shit [original content] : coolguides