僕はためしに、部屋を少し明るくしてまわりを見まわしてみた。
なるほど、これは少し様子がちがう。
青いもの、スミレ色のものが、それ自体発光しているように美しく見えるのだ。足もとを見れば、自分のはいている靴下の青が、輝いて目に飛び込んでくる。
「おれは、こんなきれいな靴下をはいていただろうか」
いや、断じてそんなことはない。毛だま糸くず犬の毛猫の毛。はいている本人も目をそむけたくなるようなぼろソックスだったはずだ。
「これは、効いてきたんや」
僕は非常に嬉しくなって、机の上に、その辺にある青色、スミレ色、紫色のものを集めて、つらつらとながめた。
なるほど、たしかに美しい。本の表紙だのスポーツドリンクの空壜だの、ティッシュの箱だの。通常は目もくれないような「青もの」どもがことごとく美しいのである。緑色も赤も、それなりにはきれいなのだが、やはりブルー系統のものが美しい。じっと見つめているよりも、なにかの拍子に青いものが視界にはいったときに、ハッと驚くような感激で光が目の中に飛び込んでくる。
「いいぞいいぞ」
次はいよいよ七色のアラベスクだ、発光するビスケットだ、奇怪な中国人だ。
僕は座して幻覚の訪れを待った。
しかし、それだけだったんである。後には何も起こらなかった。
たしかに色彩に対する感性は鋭く開かれたままだったが、古代アステカの神々はおろか、モザイク模様のひとつも表われなかった。
(中略)
付記。青色に対する感受性は、その後も開きっ放しのままだ。車を運転していてスミレ色の自転車や、トラック後尾の青い電飾が目にはいると、 ハッすることがしょっちゅうだ。これは、異常というよりは、それまで鈍く目づまりしていた色彩に対する感性が正常に戻ったのではないか。世界というのは、ほんとうはとてつもなく美しいものなのかもしれない。しかし、美しさにかまけて呆然としていては生きていけない。
中島らも『アマニタ・パンセリナ』[*1]
中島らもが中米先住民が儀礼的に用いてきたサボテン、ペヨーテを食べたときの体験と、その後の感覚の変化について記したもの。ペヨーテはメスカリンなどの精神展開薬を含んでいる。集英社文庫版より引用。
2019/06/07 JST 作成
蛭川立