向精神薬の分類 ー民俗分類と医学的分類ー


「『ダメ。ゼッタイ。』君」(薬物乱用防止「ダメ。ゼッタイ。」のイメージキャラクター[*1]。)

公益財団法人麻薬・覚せい剤乱用防止センターのWEBサイトにある「乱用される薬物[*2]には、「ICD-10(WHO国際疾病分類)に基づき日本で使用する精神作用物質の区分」が載せられている[*3]

左:麻薬・覚せい剤乱用防止センターによる分類、右:ICD-10による分類

これを改めて表にまとめてみると、以下のようになる。

分類ID ICD-10 ダメ・ゼッタイ
F10 アルコール (記述なし)
F11 アヘン類 アヘン類:ヘロイン、塩酸モルヒネ
F12 大麻 大麻類:マリファナ、ハシッシュ
F13 鎮静薬又は催眠薬 鎮静剤または催眠剤
F14 コカイン コカイン
F15 カフェインを含むその他の精神刺激薬 カフェイン
(同上) (同上) アンフェタミン覚せい剤乱用>その他の興奮剤
F16 幻覚薬 幻覚剤:LSD、メスカリン、MDMA
F17 タバコ (記述なし)
F18 揮発性溶剤 揮発性溶剤:トルエン、及びその他の精神作用物質
F19 多剤使用及びその他の精神作用物質
2C-B(新規制薬物)

麻薬・覚せい剤乱用防止センターによる分類がICD-10による分類と対応していないところが、いくつか見受けられる。

  • アルコールについての記述がない
  • カフェインとアンフェタミン等の精神刺激薬が別個に分類されている
  • タバコについての記述がない
  • F16に分類されるはずの2C-Bが、独立に分類されている

おそらく、アルコール、カフェイン、タバコは嗜好品であるという観点から乱用薬物には含めていないのだろうが、それは現代の日本文化の民俗分類(folk taxonomy)であり、医学的なエビデンスはない。

カフェインといえば日常的な飲み物であり、アンフェタミン類(覚醒剤)は危険な薬物だと考えられがちだが、その分類には科学的な根拠はない。同じ精神刺激薬であってその作用に質的な違いはないから、ICD-10では同じF15に分類されている。

2C-Bは特殊な薬物なので、ここでは触れない。

向精神薬の医学的な危険性

向精神薬の作用は主観的なものであり、使用する量はもちろん、使用方法(内服、喫煙、注射)や文脈にも大きく左右されるので、その危険性を定量的に評価することは難しいが、危険性の次元を分類し、相対的に比較検討することはできる。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/92/Rational_scale_to_assess_the_harm_of_drugs_%28mean_physical_harm_and_mean_dependence%29_ja.svg/800px-Rational_scale_to_assess_the_harm_of_drugs_%28mean_physical_harm_and_mean_dependence%29_ja.svg.png
毒性と依存性の二次元で評価した向精神薬の危険性[*4]

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/93/2011_Drug_Harms_Rankings.png

https://drugpolicies.weebly.com/uploads/2/8/9/7/28970031/8815860_orig.png
自己への害(横軸)と他者への害(縦軸)の二次元で評価した向精神薬の危険性[*5][*6]

使用者自身に対する有害性をみると、アルコール(酒)やタバコは中程度の有害性を持っていることがわかるが、それよりも危険性の低い大麻LSD、MDMA(エクスタシー)のほうが社会的な規制は強い。

他者への有害性をみると、受動喫煙が問題視されているタバコはさほど高くなく、アルコールが飛び抜けて高い(上図で上のほうに離れている点)。飲酒運転や暴力などの他害行為が頻発するからである。殺人事件の加害者の三分の一がアルコールによる酩酊状態にあったという統計もある(→「日本における出生数、死亡数とその原因[*7])。攻撃性が高まると言われているメタアンフェタミン覚醒剤)は、本人にはかなり有害だが、比率からすれば他人にはほとんど無害である。

LSDやシロシビンは認知のフレームを質的に変容させるので、これら精神展開薬(psychedelics)こそが「たった一度でも使用しただけで元の人生には戻れなくなってしまう」薬物なのかもしれないが、そのような特殊な作用は、通常の意味での薬物乱用として議論することはできない。

「考えるに適した」民俗分類

現代の日本では、カフェインは日常的な「俗=ケ」の領域に分類され、アンフェタミンは非日常的な「穢=ケガレ」の領域に分類されるが、それは医学的なエビデンスにもとづいた分類ではない。(向精神薬の医学的な呼称については「向精神薬の呼称」を参照のこと。)「穢=ケガレ」の領域に属する向精神薬は、まとめて「麻薬」と呼ばれるが、それは科学的に定義されたカテゴリではなく、文化的に定義された現地名称(local name)である。

中南米先住民のように明確な「聖=ハレ」の領域に分類される向精神薬はないが、エチルアルコール(酒)は、神道儀礼などにおいて、これに近い役割を果たすことがある。

中米先住民文化における飲食物の民俗分類」で述べたように、ツォツィル・マヤの社会では、コカ・コーラは「熱い」飲料なので病気を治すことができるが、ファンタ・オレンジは「冷たい」飲料なので病気を治すことができない、とされている。これは科学的な分類ではない。科学的ではないのに「科学的だ」と主張すれば、疑似科学(pseudoscience)になるが、その社会において「考えるに適している(bon à penser)[*8]」のであれば、それは民族科学(ethnoscience)という人類学的概念として捉えることができる。

こうした民俗分類や民族科学は、科学的な知識に乏しい、いわゆる未開社会だけのものではない。現代の文明化された社会にも存在する。たとえばカフェインは普通の飲み物だが覚醒剤は犯罪的な薬物だといった分類は、その内部で暮らしている人間は、それが「当たり前」の常識になっているので、あらためて考えなければ自覚できないだけである。このように、常識の内部から常識を異文化としてとらえる研究は、エスノメソドロジーethnomethodology)などと呼ばれる(→「ガーフィンケル『エスノメソドロジー命名の由来』」)。

こうした民俗分類は時代によっても変動する。現代史における健康飲料の栄枯盛衰については「モダンという興奮/ポストモダンという沈静」に書いたが、あるいは、タバコに対する評価も浮き沈みが激しい。その原産地であるアンデス〜アマゾン地域では「聖=ハレ」であるが、タバコを持ち出した白人の(そして後追いする日本人の)社会では、いったん「穢=ケガレ」のカテゴリに分類され、それが普及するにしたがって「俗=ケ」のカテゴリに移動していき、その有害性が研究されるようになった現在、ふたたび「穢=ケガレ」の領域に移行しつつある。

タバコに有害性があるという科学的事実と、有害性が研究されるという社会的行為は、別である。というのは、有害性を研究しなければ有害性は発見されないからである。パラダイムの中で行われる科学的研究は、それゆえに「予言の自己成就(self-fulfilling prophecy)[*9]」のプロセスを辿ることが多い。

課税のポリティクス


「百薬の長」(寿海酒造株式会社

酒やタバコに依存性があることがわかっているからこそ、敢えて合法にしている、という政治的な分析もできる。「酒は百薬の長」と言われるが、それは酒が薬だというのではなく、世の中では酒が必需品だとされているから、それに税金をかけよう、という意味である。

古代中国の『漢書』には、以下のように書かれている。

夫(そ)れ鹽(しお)は食肴(しょくこう)の将、酒は百薬の長、嘉會(かかい)の好なり。

漢書』「巻二十四下・食貨志下」[*10]

塩は食事にはなくてはならないものだし、酒も万能薬とされ、宴会には欠かせないものだ[から、それに税金をかければよい]という議論である。

もとの出典は『塩鉄論』[*11]という書物である。前漢にとって代わった新王朝が、塩と酒[と鉄]を政府の専売と決定した会議の議事録である。生活必需品を政府の専売にして、それに課税すれば、国家の財政が潤うという政策である。

日本もこの中華帝国方式を踏襲したが、新しい時代に持ち込まれたタバコという依存性の強い薬草についても、専売にして課税するという方針をとった。



参考ページ
『麻薬』という民俗分類
『茶』の文化的バリエーション


CE 2019/05/27 JST 作成
CE 2021/01/30 JST 最終更新
蛭川立

*1:この記事を執筆した2019年5月時点とは異なり、2020年5月現在「『ダメ。ゼッタイ。』君」はマスクをしている。 薬物乱用防止「ダメ。ゼッタイ。」ホームページ

*2:リンク先のページは、この記事を執筆した2019年5月27日には閲覧できたが、その後削除された。このページの画像はアップしたとおりであるが、おそらくICD-10(WHO国際疾病分類)に依拠していると書いてあるにもかかわらず内容に矛盾があるため、削除されたと推測される。

*3:もちろん、これらのサイトは啓蒙活動のために善意で作られている。教育用の映像作品も、たとえば和田清(監修)舩田正彦(協力)(2014). 『薬物乱用と健康』(大修館書店保健体育DVDシリーズ)大修館書店、など多数ある。

*4:Wilipedia「薬物依存症」より引用。以下の論文からの作図。Nutt, D., King, L. A., Saulsbury, W. & Blakemore, C. (2007). Development of a rational scale to assess the harm of drugs of potential misuse. Lancet, 369, 1047-1053.

*5:2011 Drug Harms Rankings」『Wikimedia Commons』(2021/10/21 JST 最終閲覧)

*6:Nutt, D. J., King, L. A. & Phillips, L. D. (2010). Drug harms in the UK: a multicriteria decision analysis. Lancet, 376, 1558-1565.

*7:ただし、もともと酒を飲む人の人数が多いので、他の薬物との比較はできない。

*8:レヴィ=ストロース, C. 仲沢紀雄(訳)(2000).『今日のトーテミスム』みすず書房, 145. (L´evi‐Strauss, C. (1962). Le Totémisme aujourd'hui. Presses universitaires de France. )

*9:マートン, R. K. 森東吾・森好夫・金沢実・中島竜太郎(訳)(1961).『社会理論と社会構造』みすず書房. (Merton, R. K. (1949). Social Theory and Social Structure: Toward the Codification of Theory and Research. Free Press.)

(ただし、狭義の自己成就予言とは、銀行が破産するという噂が銀行を破産させるという、社会行動の結果として起こるものをいう。)

*10:班固 小竹武夫(訳)(1998).『漢書 全8巻』筑摩書房.

*11:山田勝美(解説)(1967).『塩鉄論 (中国古典新書) 』明徳出版社.