【資料】ウェーバー「世界宗教の経済倫理」

われわれがこれから考察しようとするインドの宗教意識は、中国とはきわめて対照的に、かつてこの地上に出現した宗教倫理のうちで理論的にも実践的にももっとも徹底した現世否定の諸形態を生み出しただけではない。それに照応する「技術」もまたここで最高度に発展した。宗教的禁欲生活や、禁欲と瞑想の典型的手技などは、この宗教意識のなかで、もっとも早く現われただけでなく、首尾一貫したかたちにまで仕上げられた。そして歴史的にも、こうした合理化は、 ここを起点として全世界に広がっていったものと見てよい。

ウェーバー世界宗教の経済倫理」[*1]

マックス・ウェーバーの比較宗教社会学論集の中にある「世界宗教の経済倫理 中間考察 宗教的現世拒否の段階と方向に関する理論」の冒頭部分である。

西ヨーロッパでは「プロテスタンティズムの倫理」が「資本主義の精神」を発達させたと考えたヴェーバーは、それと対照させる形で、中国、インド、アラビア世界などで資本主義と同様の経済システムが発達しなかったのはなぜか、という問題を、儒教ヒンドゥー教・仏教、イスラーム(未完)の社会学的分析によって解明しようとした。(ヴェーバーは、西欧から出現してグローバル化した資本主義というシステムの背景に西欧のプロテスタントという宗教文化があるということを分析し、著書『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』としてまとめた後、逆に、インドや中国の宗教文化からはなぜ資本主義が発展しなかったのかという比較研究を進めたが、未完に終わった。『宗教社会学論集』は、いくつかの関連する論文を邦訳してまとめたもので、ヴェーバーじしんがそのような著書を書いたわけではない。)

インドの宗教文化は、現世拒否(Weltablehnung)の思想をもっとも発達させた。しかも、理論的に洗練されていると同時に、瞑想という実践の体系も整備されているという点で、特異的なのである。

もっとも、インドにおける思想体系は、徹底した現世拒否から徹底した現世肯定まで、むしろ徹底的な広がりを持っているところに特異性があり、徹底的な現世拒否は、その一方の極である、といったほうが、より包括的な分析であるといえよう。

古代インド哲学の総説である『全哲学綱要』では、極端な唯物論を筆頭に、15個の学派が比較検討されている。仏教経典でも「六師外道」との違いが詳述されている。逆にいえば、7個の学派の存在を認識していたのであり、異なる思想を黙殺せず、議論を重ね、論理的に比較検討して優劣をつけようとするのもまたインド的な伝統であるといえよう。もっとも、現世肯定的な思想は禁書になり、もっぱらそれを否定した側からの記述しか残っていないのも事実である。

また、トリヴァルガ(trivarga)という思想では、アルタ(現世的処世術)、カーマ(性愛の技芸)、そしてダルマ(宗教的真理)の三科目が人間としての「必修科目」だとする。ただし、最終目的であるモクシャ(解脱)は、ダルマを通じて達成されるのであって、冷徹な処世の教典『アルタ・シャーストラ』でも、官能的な性愛の教典『カーマ・スートラ』でも、冒頭でそのことを明記してから本題に入っている。



2019/07/05 JST 作成
2019/11/07 JST 最終更新
蛭川立

*1:ウェーバー, M. 大塚久雄・生松敬三(訳)(1972).「世界宗教の経済倫理 中間考察 宗教的現世拒否の段階と方向に関する理論」『宗教社会学論選』みすず書房, 99.