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西暦2003年4月、中国のチベット系少数民族であるナシ族・モソ人の社会を調査するために、四川省を経由して雲南省に向かった。
たまたまSARSが中国全土に感染を広げていたときであった。モソ人の村で原因不明の発熱により倒れた。病状の詳細は「2003年4月、SARS流行下の中国で発熱、臨死様体験」にまとめておいた。
なぜそんなときに中国へ行ったのか、死にかけたのも自己責任ではないのか、と言われそうだが、このときは風の旅行社というチベット文化圏専門の旅行会社の調査に同行したので、情報収集は万全だった。また、当時勤務していた北里大学看護学部のスタッフとも相談して、N95(ウイルス感染症専用マスク)や点滴用品などの装備も携帯し、万一に備えて渡航したつもりだった。
しかし、当時の中国政府は非典型肺炎(SARS-CoV:旧型コロナウイルス)が中国全土に蔓延していたという情報を全く公開していなかった。これは中国の人民と国際社会の信用に関わる大きな問題だった。
以下はその経緯。
中国渡航前夜までの状況
2003年2月1日〜7日
春節休暇
4月17日
中国共産党中央政治局常務委員会会議の緊急招集。翌 18 日、党中央弁公庁と国務院弁公庁が「非典型肺炎対策強化に関する通知」を公布。(このことがメディアで報道されたのは4月21日。)
SARSの患者数と死亡率(黄緑の線)の推移。4月の下旬には香港での感染(緑)は終息に向かったが、中国本土での感染(赤)は5月上旬までの約十日間で急速に拡大した。香港と中国の人口比からして、中国での感染者数は報告よりもずっと多かった可能性がある[*3]
広東省だけに限定されており、すでに終息に向かっているとされていたSARSの感染が他の地域にも広がっているらしいという未確認情報を得る。四川省と寧夏回族自治区でそれぞれ1名の患者が発生したという。
四川大学へ
2003年4月18日
四川大学チベット学研究所を訪問し、熱烈歓迎、夜は衛生状態が心配な市場で歓待を受ける。(→「肉食の象徴論 ー人畜共通感染症の文化的背景ー」)
四川省成都市(2003年4月19日)
「麻婆豆腐、麻婆豆腐」
本場四川麻婆豆腐。食器が不潔なのが気になる。消毒用アルコールで拭いてから使った。
雲南省へ
4月20日
感染が広東省以外の中国全土、とくに北京で広がっていたことは、全人代が終わるまでは公表されなかった。しかし新たに発足した胡錦濤政権は問題解決に積極的で、張文康衛生部長と孟学農北京市長を解任した。その余波を受け、地方政府が次々と情報公開を始める。
雲南省の位置
雲南省の少数民族。中国での分類では、モソ人はナシ族に含まれる[*4]
雲南省内の移動ルート(破線は空路)
成都から昆明経由で麗江へ。埃っぽい。気圧は760hPa。偏頭痛のような頭痛、咳、くしゃみと鼻水。日本にいたときから花粉症だった。体温は36.1℃で平熱。
ナシ族・モソ人の調査を開始。(→「走婚と送魂ー雲南ナシ族・モソ人の親族構造と死生観」)
発熱と臨死様体験
4月24日
昼すぎに発熱。37.8℃。重い荷物を持って動き回ったせいか、右半身が筋肉痛で、喉が乾燥した感じがする。夜には体温が38℃を超える。成都の屋台食から潜伏期間を6日とすると、細菌性食中毒ではないかと考え、日本から持ってきた抗生物質を半人前服用。
熱にうなされる中で、自分の葬式が行われる悪夢にうなされる。臨死体験のようなビジョンの中で、病気治しの女神と自称するビジョンを見る。深夜には症状が改善、熱は37.6℃に下がる。
2003年4月25日
小康状態になった合間に水を煮沸してお茶を一服。呼吸が苦しいのは高山病の症状だと思っていたが、標高は2700mしかない。
(このときの病状については「2003年4月、SARS流行下の中国で発熱、臨死様体験」にまとめておいた。)
4月25日
朝5時に目覚める。頭痛、腹痛、筋肉痛は快癒。体温は36.4℃で、平熱に戻っていた。
4月27日
陸路で麗江に戻る。喉の痛みと腹痛が残る。
麗江のケンタッキーフライドチキンも閉店
医療関係のスタッフもお疲れの様子(2003年4月27日、雲南省麗江市)
消毒証明書をフロントガラスに置いて走る。偽造されないように役所の印鑑が押してある
雲南省から退去
4月29日
「なぜマスクをしないんですか?」
「マスクなんかしてたら広東人だと思われるでしょう。広東人がイヌでもネコでも見境いなく食べるからこんなことになったんだ」
外から見れば同じ「中国人」とカテゴライズしてしまうが、四川省の人たちには「中国人」とひとくくりにされたくはない、という思いがあるようだった。「日本人」はすべて「大阪人」だといったニュアンスだろうか。
四川大学国際学術研究中心に泊めてもらう。
到着の前日、4月28日に四川大学は閉鎖され、入構制限を開始。左奥の入り口で検温が行われ、身分証明書の提示を求められる。
「一致団結して非典型肺炎の予防と治療を!」力強いスローガンばかりが掲げられている一方で、感染の実態がよくわからない状況
四川大学チベット学研究所の先生がたのご厚意で、四川大学国際交流センターにかくまってもらうことができた
四川大学国际学术交流中心[*6]
福岡への「送還」
4月30日
国外退去を命じられるが、成田行きの飛行機は欠航している。現在、日本へ帰国できる飛行機は、上海・福岡便だけであり、それで帰国せよということになる。福岡から東京まではどうしてくれるのか、福岡から東京までの距離は、麗江から成都よりも遠いのだと主張しても、そんなことは知らない。無事に日本には帰国できるのだから、そこまでが我々の責任だ、と言われる。押し問答の末、成都から上海経由で福岡に「送還」される。
福岡の空港ではとくに何もなく日本に入国。福岡の田舎で軽い自主隔離。
5月4日
東京に戻り、仕事に復帰。
5月23日
日本の外務省は香港と中国広東省の危険度をレベル2からレベル1に引き下げ
*1:免責事項にかんしては「Wikipedia:医療に関する免責事項」に準じています。
*2:国立感染症研究所感染症情報センター「WHOによる重症急性呼吸器症候群(SARS)多国同時集団発生の報告(7月4日、更新第95報)」(2021/10/12 JST 最終閲覧)
加藤洋子 (2007).SARS事件から見た中国の危機管理に関する一考察 21世紀社会デザイン研究, 7 41-52.
以下の情報もこれらのページからの引用である。
*4:Touxia (2009).「ワ族」『大きな国で ちょっと ちがうぜ 中国』(2021/10/12 JST 最終閲覧)
*5:加藤洋子 (2007). SARS事件から見た中国の危機管理に関する一考察 21世紀社会デザイン研究, 7 41-52.
*6:设计资源网 「四川大学国际学术交流中心」(2020/04/22 JST 最終閲覧)
*7:SARS制圧宣言後の研究所内感染については「SARS関連コロナウイルスの研究所内感染」にメモをまとめた。